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第10話 ②
昨夜から降り続いた雨が止んだのは結局明け方近かった。
カーテンの隙間から入る光で外が白み始めたのを感じ、隣に眠る哲平の寝顔を眺めてから再び眠りについた。
次に悠介が目を覚ましたときにはすでに隣に哲平の姿はなく、彼が残した寝跡と温もりがまだそこに残っていた。
「──何だよ、これ」
昨夜のことは夢でも幻でもない。
哲平は何を思い、何を感じたのか。
ベッドから抜け出てリビングに行くと、テーブルの上にメモが残っていた。
【仕事だから始発で帰る。また連絡する】
癖の強い男らしい文字。悠介はそのメモを指でつまんで、そこに溜め息を吹きかけた。
「あんなことしといて──朝消えてるとか」
結局のところ、哲平にとって自分との行為は「アリ」だったのか「ナシ」だったのか。
哲平と一線を越えてしまえば、何かが劇的に変わるのかと思っていた。けれど、身体を繋げたところで結局不安は変わらない。
ずっと叶わないと諦めていたことが叶った。たった一度限りの事でもいい、哲平に触れるということが叶った。その喜びも束の間、実際には何も変わっていない現実に打ちのめされる。
何かをひとつ超えたと思っても、また何かが目の前に立ち塞がる。
「せめて声掛けてけよな……」
哲平が今日仕事なのは知っていた。
あの生真面目な哲平の事、仕事前に一度家に帰るだろうということも予想ができていた。黙って出て行ったのも、自分を起こさないための気遣いだということも分かっている。
拒絶されたわけじゃない。受け入れられて絶対に無理ではないことが分かったはずなのに。
どうしてこんなにも不安な気持ちになるのだろう。
どうするのが正解だったのだろう。
あれから哲平からの連絡は一度もない。
時間が経てば、冷静さを取り戻す。あの時、自分を受け入れた哲平も、うっかり浮かされた一時の気の迷いに気が付いたのかもしれない。
覚悟はしていたはずだった。駄目でもともとのはずだった。
なのに、こんなにも胸が苦しいのは──。
仕事をしていれば、すべてを忘れられる。けれど、ふとした拍子に哲平のことを思い出し、哲平とよく似た背格好の男を見掛けるたびに心臓がリアルに跳ねる。
「岩瀬さん、お疲れっすか?」
「あ?」
「眉間に皺! お客さんにガンつけてどーすんですか」
宴会場裏の通路に入るなり、同僚の空井に袖を引かれてはっとした。
「珍しいっすね、そんな険しい顔してんの。何かあったんすか?」
「──いや」
何が仕事をしていればすべてを忘れられる、だ。
忘れられてなどいない。常に哲平の事ばかり考えている。
一度許されてしまったら、抑えなどきくわけがない。人というものは欲張りだ。
気持ちを伝えて拒絶されないだけいい──が、触れたい、キスしたいに変わり、それが許されればもっと先の事を望んでしまう。
結果──哲平は拒絶しなかった。
男同士のそれも、最初は恐る恐るという感じではあったが、無理ではなかった。
そこまで許されたら、本気で期待してしまう。
もしかしたら、本当に哲平を自分のものにできるのではないかと。
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