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第12話 ③
季節は再び春を迎え、悠介の父親が倒れたあの春から一年が経った。
その後の経過は順調で、未だ月に一度の検査は受けているが、特に目立った問題なくすっかり日常を取り戻している。
思えば、それがきっかけだった。偶然哲平と顔を合わせ、再び関わり合うようになったのは。
父親の事がなければ、哲平とあんなふうに会う事はなかっただろうし、ましてや哲平と恋人同士になるなどあり得なかったことだ。
「悠介、もう帰るのか? 晩飯くらい食べて行けばいいだろう」
数カ月ぶりに帰った実家で、父親が少し名残惜しそうに言った。
「そうよぉ、久しぶりに帰って来たのに。あなた、お盆とお正月くらいしか顔出さないじゃないの」
「そんなことないだろ。最近はけっこう来てるだろ」
以前より頻繁に実家に帰るようになったのは、やはり離れて暮らす両親の事が心配だからだ。相変わらず実家暮らしの哲平に合わせて帰ることも増え、両親は子供の頃のような親しい付き合いをしている自分たちのことを心から喜んでいるようだ。
家族には未だ哲平との関係は秘密だ。
いずれは言わなくてはならない時がくるだろうが、今はまだこのままでいい──と思っている。
お互いの家族がそれを受け入れてくれるか拒絶するか、それは分からないが、時間を掛けてでも理解してくれる方向へと持っていきたい。
「ほんとに帰るの?」
念を押すように母親が訊ねた。
「ああ。このあとちょっと予定あんの。また帰るけど、身体気を付けなよ、二人とも」
実家に帰るのが嫌なわけではない。公にできない秘密を持つものとして、これくらいの距離感が都合がいいというだけの事だ。
車に乗り込んでエンジンを掛けると、ポケットの中のスマホが鳴った。
悠介は一度握ったハンドルを離し、車を停止したままその電話に出た。
『久しぶりだな、岩瀬』
耳元で響く懐かしいこの声はかつての恋人であった成島だ。別れを切り出してからも時々こうして電話が掛かって来るが、一切の関係を切ることができないのは成島が悠介にとってかけがえのない友人でもあったからだ。
「うん。久しぶり」
『そろそろ、別れたか? あいつと』
「はは。毎回それ聞くのな。残念ながら別れてないよ」
『なんだ。別れたら、俺がいつでも拾ってやるのに』
冗談めいた口調でこんなことを言っては来るが、哲平が彼女とケジメをつけ悠介と真剣に向き合っていることを示すと、以前のように納得のいかない様子を見せることは少なくなった。
悠介の部屋に断りもなく顔を出すこともなくなり、それは頭のいい成島がきっといろんなことを察している証拠であり、彼なりの気遣いでもある。
「成島はいい男なんだから、俺なんかにいつまでも固執すんなよ」
そう言ったのは心からの気持ちだ。
成島ほどの男なら自分でなくとも、彼だけを愛してくれる相手にきっと出会える。
『お。いい男だってのは認めてくれんだな』
「認めるよ。付き合ってた時は、お前以上の相手なんていないって思ってたのはホントだし」
悠介の言葉に、電話の向こうの成島が小さく息を吐いた。
『なのに振るとか、ほんとナイわ。俺の方が顔だっていいし、優しいし、なにしろ一途で同類だっつーのに。こんな好物件振ってノンケに走るとか……岩瀬マジ、アホだろ』
「──はは。返す言葉もないな」
悠介が答えると、成島が電話の向こうで呆れたように息を吐いた。
『まぁ……あいつも元々ノンケのくせに男に走るとか大概アホだし、アホ同士似合いなんじゃねぇの』
成島の言葉は憎まれ口のように聞こえるが、長年付き合ってきた悠介には、その言葉の温かさが分かる。
「本当。悪かったな、成島」
本気で好きだった。
これ以上ない相手だと思っていた。たぶん成島の方もそう思ってくれていたのだろう。こんな未来は想像だにしなかった。
『悪いと思ってんなら、今からでも俺を選べよ』
「それは──できない」
どんなに好きだった相手でも。かけがえのない友人であったとしても。
『はは、本当ハッキリ言うのな』
「精一杯の誠意だよ」
成島を傷つけて手に入れた今の幸せ。もちろん今でもそのことに胸が痛まないわけではない。
それでも、自分に正直でありたい。気持ちを偽って成島の望みを受け入れても、きっともっと深く成島を傷つけてしまうだけだった。
いつか、この気持ちが分かってもらえるといい。
別れこそが、成島の幸せを思ってのことだったのだと。
「成島なら、きっといい相手がみつかる」
これは心からの言葉だ。
『──まぁ、それはともかく。岩瀬が元気ならいい。また連絡する』
「うん。親友としてならいつでも大歓迎だ」
今はまだ難しいかもしれないが、いつか本当の意味で親友に戻れたらいい。
成島がそれを望んでくれるのなら。
「それじゃ。またな、成島」
悠介が敢えて“また”と言うと、その意味を理解したように成島が「ああ、また」と答えて電話を切った。
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