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第12話 ④
実家から車を走らせてマンションに戻った頃にはすでに夜の八時を回っていた。
明日早いから、と誤魔化して実家から早めに帰宅したのは、仕事帰りに哲平が部屋に来ることになっていたからだ。
哲平が悠介の部屋を訪れるのは、多くて週に二日。哲平が公休日の前日に部屋に寄り、翌朝帰ることもあれば悠介の休みが被ったときにはさらに一日一緒にいたりする。
恋人になってまだ日は浅いが、それなりに恋人らしく過ごしている。
籠った部屋の空気を入れ替えるためにそっと窓を開けると、ちょうどマンションの裏手にある川沿いの通りがなにやら賑やかなことに気が付いた。
「あ……そうか」
マンションの裏手の川沿いは桜の並木道になっている。毎年この時期になると、小さな出店がその川沿いの通りに出て、花見客が多く集まって来る。
外の賑やかさに誘われるように川沿いの通りを眺めていると、しばらくして玄関のインターホンが鳴った。
悠介が慌てて玄関に行きドアを開けると、仕事帰りのスーツ姿の哲平がそこに立っていて、少し興奮したように「なぁ。ちょっと、外行かね?」と言った。
「なんだ、哲平も外の賑やかさに気づいたのか?」
「会社からこっち向かって歩いてきたらやけに人増えてるから何だろって思ったら、このマンションの裏手に桜の木なんてあったんだな」
毎年、地元商店街の有志で行われている小さな規模の催しではあるが、地元の人々は楽しみにしている。
「行ってみるか?」
「もちろん!」
そう返事をした哲平が仕事用のバッグを玄関に置くと「悠介、早く」とまるで子供の用にドアを開けた。
さすがに夜は少し冷えるため、防寒用の薄手の上着を羽織って急かす哲平のあとに続いた。
マンションの階段を降り裏手にまわると、通りはすでに大勢の人で賑わっていた。
狭い川幅の両端が並木道になっているため、まるで川の上に薄紅色のトンネルが出来ているように見える。日が落ち、ライトアップされた桜がさらに幻想的な景色を作り出す。
「綺麗だな……」
「俺、花見なんて何年かぶりかも」
「なんだよ。彼女と行ったりしなかったのか」
「や。花見って期間限定だろ? 桜って咲き始めたと思ったらあっという間に散っちゃうし、タイミング逃して行けなかった」
そう答えた哲平に、自分ではない誰かに想いを馳せるような表情がほんの一瞬浮かんでは消えた。
終わった恋ではあるが、哲平が大切にしていた恋だ。たった数カ月でそのすべてを忘れられるわけはないし、忘れる必要もないと思っている。
終わった恋を含めていまの哲平がある。哲平だけでなく、もちろん自分にも。
誰かを大切に思う気持ちが積み重なっていまの哲平がある。自分が好きだと思うのは、そういう過去も含めた今の哲平なのだ。
「そういや、実家の裏の公園にも桜の木あったよな」
「ああ。よく木登りして怒られたな」
哲平が当時の事を思い出したように懐かしそうな表情を浮かべた。まだ哲平への恋心を自覚する前の一番楽しかったころの記憶を、哲平も覚えていてくれたということだけで胸が温かくなった。
「なぁ。腹減らねぇ?」
少し先を歩く哲平が悠介を振り返って訊ねた。
「減った。俺、たこ焼き食いたい」
「お、気が合うな。俺も同じこと思ってた!」
そう言った哲平が白い歯を見せて笑い、数メートル先の出店目掛けて足を速める。
こういった場面で行動力があるのは依然哲平のほうで、悠介が哲平に追いつく頃には、すでに哲平の手に買ったばかりのたこ焼きがあった。
「おまえ、早いな」
「ちょっと、そこの横道入るか」
次々と通りを行き交う人混みの波から抜けて、さっそく買ったばかりの頬張る哲平に目を見張る。
「──熱っつ‼」
「そりゃ、そうだろー。バカだな」
涙目になりながら、何とも言えない表情をこちらに向ける哲平のこういうところは、幼い頃のまま。こういう昔と変わらないところも、見違えたように変わったところも、何もかも好きだと思う。
長い間想いを秘めていた頃よりも、もっと。
一日一日、一秒一秒、その好きが積み重なっていく。
「悠介も食えよ、熱いけど旨いよ」
「ああ」
哲平が櫛に差したそれを、悠介の目の前に突き出した。
「……このまま食えって?」
「当たり前だろ。落ちるから早くしろって」
そうだった。哲平はこういうやつだった。
哲平自身がよしとするならば、周りの視線など気にするような男ではなかった。
悠介自身、正直照れくささとかそういったことが少しも気にならなかったわけではないが、哲平がさほどこのことを気に留めていないのを見ると、恥ずかしがっているのが馬鹿らしく思えて来た。
「ん!」
勢いよく差し出されたたこ焼きにかぶりつくと、その想像以上の熱さに口の中の物が飛び出しそうになって慌てて両手で口元を覆った。
「ははは! めちゃめちゃ熱いだろ」
哲平が楽しそうに笑ったが、それに文句を言える余裕などない。
「ちょっと、待ってて。あそこで飲み物買ってくるわ」
そう言った哲平が、すぐ見える距離にある自動販売機まで走って行ったかと思うと、あっという間に戻って来て買ったばかりの冷えたお茶を悠介の目の前に差し出した。
「……サンキュ」
「あとで俺にもちょうだい」
「ああ」
同じものを食べて、同じペットボトルを共有して、同じ歩幅で並木道を歩く。
こうした何気ない日常が、このままずっと続いていくといい──。
「そろそろ帰るか」
並木道の終わりの少し手前近くまで行くと人もまばらになり、来た道を折り返すと冷たい風が吹いた。
桜の咲く季節とはいえ、夜はまだ少し冷える。悠介が冷えた手を両手で擦り合わせると、それに気づいた哲平が着ていたスーツの上着を脱いで悠介の肩に掛けた。
以前付き合っていた彼女にも同じようなことをしていたのだろう。哲平の気遣いは分かるが、まるで女性を扱うように自分を扱う哲平の行動を受け入れるのは男としてどうも照れくさい。
「……さすがに、これはいいわ」
「なんで? 寒いんじゃねぇの?」
「俺だって一応上着着て来てるし、そこまでじゃないよ」
悠介が肩に掛けられた上着を押し返すと、哲平が「そ」と言ってそれを受け取った。
強い風が吹いて、その風に煽られるように散った花びらが、くるくると円を描いて頭上を舞う。
「……本当に綺麗だな」
そう言って上を見上げた哲平の横顔に愛おしさが溢れだす。黙ったままその横顔を眺めていた。
何かに夢中になっているときの哲平の顔は幼い頃の面影がいまだ濃く残る。
あの頃、秘めていた想いが、月日を経ていまに繋がっているこの奇跡。
「悠介」
哲平がこちらを振り返って立ち止まった。
「ん?」
同じように立ち止まると哲平がこちらに手を伸ばし、そっと悠介の髪に触れた。哲平が悠介の髪に付いていた花びらをつまんでふっと息を吹きかけると、その花びらがまた宙に舞って夜の闇に消えて行った。
哲平が手に持ったままの上着の下から、悠介の手首をそっと掴む。
「……ちょ」
掴まれた手を反射的に振りほどこうとすると、哲平がその手に力を込めた。付き合い始めてからというもの、哲平は二人きりの時はもちろん外でも自分に触れたがる素振りを見せる。
悠介とてそれが嬉しくないわけではないし、二人きりのときならば喜んでそれを受け入れるが、外ではそうもいかない。
「やっぱ、外では嫌か?」
「……当たり前だろ。普通に人目は気にする」
「こうしてたら見えないだろ」
確かに哲平の手にしている上着が目隠しになっていて、ぱっと見た程度じゃ自分たちが手を繋いでいることなど分かるはずもない。
「それでも……だよ」
「俺は、人目より悠介とどうありたいか、ってことを優先したいんだけど」
そう言った哲平が改めて、悠介の手を握り直してから前を歩いて行く人の波を見渡しながら言った。
「ここにいるみんなが恋人や家族と堂々とそうしてるように、俺たちも堂々としてたらいいんじゃないかと思うんだ。べつに吹聴してまわるような気はないけど、隠すこともないって俺は思う」
「……」
「俺、そういうこともひっくるめていろいろ覚悟したうえで悠介といること選んだんだよ」
哲平がその覚悟を伝えるかのように、握る手に力を込めた。
「誰に何を言われても、俺は悠介が好きだし。この先何があっても悠介と生きてくって決めたんだ。こうやって隣に悠介がいてくれんなら、他の事なんてちっぽけ過ぎて本当どうでもいいって……」
幼い頃からこういうところがあるやつだった。
自分がこうと決めたら、その覚悟というか胆の据わり具合が超人的というか怪物的と言うか。頑固で真っ直ぐで、我儘でいい意味で手に負えない。
そういうところがまた哲平の持つ魅力なのだ。
「──ははっ、おまえ本当潔いな」
「俺が小さい頃から悠介に褒められたのって、そこくらいだろ」
「そうだったか?」
哲平の目に自分がどう映っていたのかは分からないが、臆病で自信のない自分と比べていつだって感情のまま真っ直ぐな哲平にどこか憧れていた。
いつか自分もそうなれたら──、いや。そうなるチャンスをいま与えられているのかもしれない。
「ああ、わかった」
そう言って悠介は哲平の上着を取り上げ、その手を堂々と強く握り返した。
哲平が「他の事はどうでもいい」というくらいの覚悟を持って自分といることを選んでくれたことが素直に嬉しく、驚くほど大きな自信となる。
「確かにそうだな。他の事なんてちっぽけだな」
敵うわけがない。
どんなに離れようとしても、忘れようとしても、いつだって悠介の心の奥で強烈な存在感を放って居座り続けた哲平のくれるゆるぎない言葉に適うはずがない。
ただ、それだけが望みだったはずだ。こうして、傍にいられる事だけが。
誰に何を言われても、哲平が自分の味方でいてくれるのならばそれだけで心強い。
「ホントおまえのそういうとこ好きだよ、哲平」
はらはらと桜の花びらの舞う並木道を繋いだ手を隠すことなく歩いて行くと、横を並んで歩く哲平が白い歯を見せて嬉しそうに微笑んだ。
この強さと眩しさに、益々引き寄せられる──。
溢れだす想いに抗う必要も、隠す必要もない。
もう、自分は一人ではない。世界で一番愛する男性(ひと)とこうして二人で歩き出しているのだから。
-end-
最後まで読んで頂いて
ありがとうございました❀.(*´▽`*)❀.
ほんの少しでも楽しんで頂けたとしたら
嬉しいです。
涼暮つき
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