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マがまがしい 02

 見知った顔と全然知らない顔がごっちゃ混ぜになった飲み会が始まって、一時間くらいたったかな、という時間だった。  男たちはすっかり出来あがっていて、若いノリというか、なんというか、結構な騒ぎだった。  ビールってそんなに酔っぱらう飲み物なんだろうか。桑名さんがゆっくりと舐めるように飲んでいる様はかっこいいと思ったけど、浴びるように飲む若人たちはなんというか、ちょっと興ざめというか。まあ、これも飲み会の楽しみの一つなんだろうけど。  対して女の子達は騒いでいる子と、世話を焼いている子に別れている印象だった。おれも騒ぐ程飲んでいないので、一緒になって注文を取ったり皿を下げてもらったりと、すっかり世話係だった。 「木ノ下せんぱいってーちょうきがきくしやさしいーでーすよねー」  いつの間にか隣の席に座っていた川端さんにモスコミュールを渡しながら、そうかなと曖昧な笑顔を返す。  一昨日からずっと隣の部屋のサラリーマンさんに迷惑をかけている身分としては、とんでもない世辞だと思う。気が利いて優しいなんて、それこそ桑名さんの代名詞のような言葉だ。  キスとかされちゃって押し倒されちゃったりとか、その上流れでふんわり口説かれてるっぽい現状でも、やっぱり桑名さん優しいしかっこいいし、他に頼れる人なんかいないと思ってしまう。  本当に八時に迎えに来るつもりらしかったので、おれもそのつもりでちょっと顔出すだけ、という体で飲み会に参加している。  まあ、楽しくないってわけでもない。乾杯の時だけ薄いチューハイを飲んだけど、元より酒に強い方でもないから、結構ふわっとする。久しぶりに外食している気がする。ここんところコンビニの弁当で生きていたから、居酒屋のメニューですらちょっと嬉しい。  そういや桑名さん自炊なのかな。料理できたらかっこいいけど、できなくてもかわいいからやっぱり桑名さんはずるいなーと思っていたら、川端さんにつんつんと肘を指先でつつかれた。  ピンクと白のネイルが、いかにも女の子で、あーこういうの流行ってるのかーと、ぼんやり感心してしまう。 「もー、木ノ下先輩さっきからぼんやりしてばっかりでー、あたしの話全然きいてくれないー。きいてました? ねえねえ、きいてました?」 「聞いてた聞いてた、えーと、ほら、……そう、美容室の話」 「そう! この前ね、初めて行ったところがすごくよくてー。イケメン美容師さんがさくさくっと、しかもすっごいお話もうまくて尊敬ー! みたいな! あたしボブ絶対にあわないと思ってたのにー、すっごいなーって」 「え、似合うよ。かわいいじゃん」 「えへへ、美容師さんのテクニックですよーう、とか言っちゃってなんですけど嬉しいー。せんぱいはー髪の毛短い子と長い子どっちが好きですー?」 「あー……いや別に、似合ってたらどっちでもいいと思うけど」 「えーハードルたかーいその回答! 好きな芸能人とかいないんですか?」 「げいのうじん……おれテレビ見ないしな……」  研究室で休憩がてら新聞は目を通すし、ネットニュースもチェックしているけど、そもそも部屋にテレビが無い。あったとしてもどうせネイチャー系のドキュメンタリーくらいしか見ないから、芸能人と言われてもさっぱりだ。  好きな芸能人じゃなくていいから好きな女の子のタイプは、と迫られて、そんなこと言っても今隣にいて意識しちゃうの二十八歳成人男子だしなーと思って苦笑いで誤魔化した。 「もー、先輩女っ気全然なぁーい! 彼女さん居ないんだから、もっとこう、積極的に行かないと! 青春逃しちゃいますよ~」 「青春……いやおれもう二十四だし、結構もういい年だし……」 「じゃあなおさらですよ~、せっかく若い女の子いっぱいいる職場なんだから、もっとがつがつ探さないとー! 待ってるだけじゃだめですよ? すぐアラサーとかになっちゃいますよ?」 「うーん……」  アラサー、っていったら、桑名さんもたぶんその部類だろう。  でも別におれは桑名さんが寂しい独身男には見えないし、どうなんだろうな。女の子とおれとはやっぱり根本的に考え方が違うのかな、と、思いながら薄いチューハイに口をつけた時、思わず笑顔が固まった。  あ。どうしよう。  ――……後ろに何か居る。  おれの後ろは壁で、人は通れるけれど、そういうんじゃない。確実にそこに立っている。  耳元に気配を感じる。つまりたぶん……屈んでいる。  気味の悪いくらい低い声が聞こえる。居酒屋の喧騒にまみれて、耳元で。 「…………ま………ま…」  壊れたテープレコーダーみたいに。傷のついたCDみたいに。  一定の音が耳元で繰り返す。 「ま……ま……ま……ままま……ま……ままままま……」  それは言葉というよりは音に近くて、ぞっとするほど気持ち悪い響きだった。  屈みこんだ何かはひたすらおれの耳元で「ま」を呟く。それに何の意味があるのかなんて知らない。  死ねとか、殺すとか言われた方がましかもしれない。そこには意思がある。でもこいつは、何が目的なのかわからない。  気持ち悪い。怖い。言葉なんて通じないような気がする。  こんな人ごみなのに。他に人も居るのに。おれ以外はおれの後ろの何かにまったく気が付いていないように、ごく普通の光景が目の前に広がっている。  声が出なくて、タスケテ、と言えない。  その上耳元の声は、少しずつ、大きくなっているような気がする。 「ま……ま…ままま………まままま……ま……ま…まままま」  駄目だ、意識が遠のく。吐く。倒れる。  そう思って思わず口元に持って行った手を、誰かに横から掴まれて、初めて「ヒッ」と声が出た。  それがちゃんと人間の手で、その上見知った男性の手だと気が付いても、息は止まったままだった。  うちのグループだけ、一瞬無言になる。みんな目を丸くして、おれと、おれの手をいきなり掴んだ状態で立っているお兄さん――桑名さんを見ていた。 「くわな、さ……」 「――……すいません、この人、俺のなんで」  おれの後ろに向かって、静かに通る声で、桑名さんは言い切った。  びっくりして、何言われたか全然わかんなくて、ていうかそういうのって桑名さんが逆に呪われたりしないの平気なの言葉通じるの大丈夫なのって、思った後に漸く飲み会メンツがそろって注目していることにも気が付いた。  たぶんみんなには後ろの何かとか見えていない。桑名さんに見えていたかもわからない。  桑名さんは幽霊的なモノに向けて言ったんだろうけど、そんな説明をするわけにもいかず、別の意味で変な汗が出てきた。後ろの気配が消えると同時に、呼吸と、そして羞恥心が襲ってくる。  やばい。桑名さん今とんでもなくかっこいいけど、どう考えてもホモ宣言された。  どうにか誤魔化せないものかと恐る恐る川端さんの方を無理向くと、――驚くほど表情の無い顔がそこにあって、また小さい悲鳴を呑み込んだ。  生きている人間だと思えない。でもその容姿はさっきまでそこでにこにこしていた川端さんだ。川端さんなのに、……表情が無い。一切無い。能面のような顔にどうしていいかわからず一歩下がると、桑名さんに支えられて立たされた。 「優世君、酔っちゃったみたいだし、本当に早々だけど連れて帰りますね。飲み会の邪魔してごめんね。これ、お代。立てる? おぶってく?」 「……立て、ます、あの、桑名さ、」 「顔赤いよ、酒弱いくせに飲むから」  たぶん、わざとだろう。昔馴染みですよって顔で下の名前で呼ばれて優しく微笑まれて、うっかりおれも赤面してしまうのが悪い。完全にホモだ。もうだめだ言い訳できない。  恐ろしくてみんなの顔が見れない。能面のような川端さんの顔も怖くて見れない。そのまま逃げるようにお疲れ様と言い捨てて、居酒屋を出た。  後ろに立った何かの気配はすっかり消えていて、恐怖もだいぶ薄らいでいる。その代わりに顔が熱くてもうだめだ。  手を引っ張られるように比較的早足で歩いて、居酒屋が完全に見えなくなったところで、桑名さんがやっと歩調を緩めてくれた。恐怖とか羞恥とか酔いとかパニックとかで酸欠に近かった頭がどうにか、落ち着いてくる。  ごめんねと言われて、え、何が? と訊くと、すごくすまなそうな苦笑が返ってきた。 「いやー……別に、木ノ下くんが女子にちやほやされようが、俺個人としては比較的余裕ぶっこいているんだけど、それはそれとして、木ノ下くんが泣くほどビビってる要因がそこにあると思うとちょっと我慢ならなくて結構ガチで喧嘩売っちゃったかもしれないなーと、思って」 「要因? 原因わかったんですか!?」 「原因っていうか、うーん……まあ、俺と巻でいろいろ見ていろいろ考えた結果こういう可能性が一番高いんじゃない? っていう説明は一応できるかもしれない」 「恐怖体験の根本って部屋じゃないの?」 「部屋だね。完全にキミの部屋がやばい。今日の惨状はもう言わないけど、まあすごいことになってたよ。俺しばらく魚の鱗見れないかもしれない。まあともかく、確かに二○二号室そのものが元凶っていうか、兵器みたいなもんなんだけど、それを作動させちゃったトリガーが、たぶんキミの隣に座ってたあの女の子」 「え。え? 川端、さん?」  おれが飲み会に赴いた後、戻った桑名さんと巻さんは、二○二号室を徹底的に調べたらしい。  結果分かったのは『二〇二号室は呪術的な何かが施されていて、とにかく霊がたまるようになっているらしい』という事だったという。  じゅじゅつ……。なんだそれラノベかと思ったのがばれたらしく、相変わらずの苦笑いで桑名さんが補足してくれる。 「俺もそんなばかなって思ったんだけど。蠱毒とかって今ちょっとオカルト詳しい子は知ってるみたいだし、ひとりかくれんぼとかも一時期流行ったって巻が言ってたし。ああいうのってすごく簡単にできる割に結構まずい『儀式』なんだってさ。こっくりさんとかもそうだよね、たぶん。とにかく誰かが遊びでやったのか、それとも大家ぐるみで本気で呪いを仕掛けたのか、二○二号室はたまりやすいっていうか全力で心霊スポットになっていた、ところにそういうものを寄せる体質になってたキミが入ってきて、ロックオン、って感じじゃないかなって」 「……おれ、別に今まで霊媒体質とかじゃなかった筈ですけど」 「うん。でもね、誰かの執念とか想いとかおまじないとかって、それはもう結構な呪いの領域なんだってね。これも巻の受け売り」 「ええと、その、おまじないの元が川端さん?」 「……昼間、電話があったでしょ。あの時漏れてきた彼女の声、巻が聞き覚えあったんだって」  ゆうせ。  最初におれが桑名さんに助けを求めた時、巻さんに電話してもらった。その時コツコツと携帯を叩く音と一緒に、低い声でおれの名前が呼ばれたらしい。  川端さんは普通の女の子で声も高い。巻さんが電話越しに聞いた低い声とは別物の筈だ。そう思ったのに、巻さんは「あの時の声の子だ」と断言した、らしい。 「初めて心霊現象にあった一昨日、何か食べたり、部屋に持って帰ったりしなかった? たぶんそれがね、あそこの場所を刺激したっていう感じらしいんだけど。……さっきの女の子に、食べ物か何か貰った?」 「……食べました。研究室にあったマドレーヌ、たぶん、川端さんが作ったやつだ……」 「ビンゴだね、それだ。さっきもなんか黒い影にのしかかられて顔面蒼白になってる木ノ下くんの横で、あの子、ニタニタ笑ってキミのこと見てたよ。あーやばい人間の顔じゃないなって思った。そしたらお前が原因かよくそがって思ってちょっと挑発的なこと言っちゃいましたごめんなさい」 「それはまあ、別にいいっていうか、もうどうしようもないんですけど、ええと、待って、うまいこと頭が回らない……つまりおれはどうしたらいいってこと?」  これが正直一番肝心だ。  川端さんが原因なら、本人と話をするなり距離を置くなりの対処が必要かもしれない。  部屋が原因なら、引っ越せば全てが収まるのかもしれない。  でも現状川端さんと関係ないところでも心霊現象は起こっているし、部屋以外でも起こっている。これはつまり『幽霊が湧く部屋に入ってその上刺激しちゃったからロックオンされましたもう逃げられません』ってことなの? どうなの?  若干パニック引きずったまま桑名さんに詰め寄る。  相変わらずおれの手を握ったまま、柔らかい声で、桑名さんは優しく絶望的な事を告げた。 「巻に以上の事実をもって霊能者的な方に相談してもらったんだけど、答えは『YES、逃げられません』で大体正解みたいだね。キミは今餌だ。ここにおいしいものありますよーっていう目印が付いちゃってる餌。だから部屋を引っ越そうが何しようがついてきます。ただ、隣の部屋……まあつまり俺の部屋なんだけど、あそこは一応隣室の干渉を受けないように対処はしてあるから、どっかに越して部屋のものそのまま連れていくくらいなら、隣の部屋で生活しながら二○二号室の除霊を進めた方が幾分かは安全だろうって話でした」 「…………なんの冗談ですか。心霊部屋の隣室が一番安全だってこと?」 「まあ、そういうこと。残念ながら同居人付きだけどね」  まあとりあえずうちにおいで、と言われて。  絶望で涙出そうなのに桑名さんかっこよすぎて抱きつきそうになった。しばらく心霊現象から逃れられません宣言されたのに、どうにか前を向けたのはやっぱり桑名さんのおかげ、かもしれないし酔っぱらっていたせいかもしれない。  お話によると、除霊といっても一気にできるものでもないらしい。  とにかく時間をかけて、ゆっくりと換気するみたいに薄めていくという話だ。毎日とにかく塩を盛るとこからのスタートで、その役目は桑名さんが、定期報告は巻さんが担ってくれるらしかった。巻さんには本当に頭が上がらない。  そして川端さんの方は、なるべく本人に近づかないという対策しかない。彼女からは、ガチで呪いレベルの何かを仕掛けられているのか、ただの重い恋慕なのかわからない。  頭が痛くてくらくらした。 「……大丈夫? 本当におぶってく?」  でも、隣を歩いてくれる桑名さんは手を繋いでくれる。だからどうにか大丈夫ですって言えたし、まあ、どうにかなるかもしれないって思えた。  すげーこわい。すげー怖いし意味分かんないし泣きそうだ。でも、桑名さんが居てくれる。  一昨日会ったばかりの人だけど。その上おれのこと好きかもしれないとか中途半端なこと言って押し倒してくるえろい大人だけど。でも、絶対にこの手を離さないでいてくれる人だと思ったから。 「生活費、いくら払えばいいですかね……」 「ん? うん、そうだなぁ……結局二○二号室はそのままだしね。まあ今度大家にかけあってみるとして、とりあえず家賃は良いよ。光熱費持ってもらえたらそれでいいかな」 「破格すぎませんか。同情価格?」 「ていうか恋情価格。木ノ下くん泣くほど大変な状態だって知ってるしわかってるけど、ごめん俺ちょっと嬉しい」 「……あー……それ、おれと一緒に居られるから、的な、意味で?」 「そう。さっき川端某さんと対峙しまして結構本気で俺キミのこと好きだなぁって思ったので。いつか除霊も全部済んで、他の場所に引っ越しても平気ですよってことになった時に、桑名さんと一緒がイイですって言われたいのでちょっと頑張って口説こうかなって思ってます」  離すの、おしいからね、と言われて。  恐怖じゃないぞわぞわっていうか、うわーうわーみたいなざわざわした感覚が足元から這い上がってきて、耳を覆いたくなった。  もうこんなのおれだって好きなんじゃんって思ったけど、それ言ったら取り返しつかないことになりそうだった。  たぶん、熱い手で全部ばれているだろうけど。 「そういやさ、ゆーせくんって響きいいよなー。呼んだらだめ?」 「……しぬからやめてください。あ、そういえばおれ、桑名さんの下の名前知らない、かもしれない」 「あれ、そうだっけ? あー、じゃあ後で名刺あげるよ。……桑名健介っていいます。どうぞよろしくね」  そうこうしているうちに、恐怖の根源のアパートが見えてきた。やっぱり怖いし、遠目から見ても禍禍しいような気がする。そのまがまがしい部屋の隣で生活しなきゃいけない、っていうのは中々、精神的に来るものがある。  明日からも絶対怖い。怖くないわけがない。  でも、それ以上に桑名さんのせいで熱いような気がした。

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