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まざるもの

「台風来るらしいネー」  七月最初の月曜日。  先週末に無理矢理リリースしたソフトがどうもうまく作動しないらしく、午前中から戦争だった。やっと昼飯にありつけたのはおやつ時ももう終わろうかという時間で、どう考えても残業確定だなーとぼんやりとため息をつく。  デスクにいると無駄な仕事を押し付けられそうで、隣の席の同僚巻と一緒に逃げてきた。昼飯くらいはゆっくり食いたい。休憩くらいはじっくりとりたい。  昼飯時は完全に逃していたから、ランチ営業の店も中休みに入っている。かといって喫茶店に入る程時間に余裕もないし、仕方ないから近場の蕎麦屋に駆け込んだ。  別にまずくはないんだけど、麺の太さがマチマチで、その上店内がいつも微妙に生ぬるいからよほどのことがないと来ない店だ。でもまあ、コンビニ弁当よりはましだと思う。  少し生ぬるい月見そばをずるずると啜りながら、店内の角にあるテレビを見上げている巻を見た。 「台風って秋じゃなかったっけって思ったけどそういや毎年七月初めくらいに豪雨だなんだって言うわな……何、こっち直撃すんの?」 「今のところ日本縦断ルートだっつってお天気予報コーナー以外でも騒いでたわよ。何よ、桑名っちニュースみてねーの?」 「テレビつけるとたまに画面いっぱいに女が映るから木ノ下くんが居る時はあんまつけない」 「おっふ。相変わらずのお化け屋敷ねー」 「まあ、今のところ実害は無いけど」  先月の終わりに、同居人ができた。  同居人と言うか、居候というか、友人というか、正直誰かに説明する時は非常に困る存在ではある。  建て替えの為の立ち退きで、別のアパートに移ったら隣の部屋がとんでもない幽霊屋敷状態で、逃げてきた住人を保護した。正直自分でも何を言ってるんだかわかんない感じだが、一番パニックになっていたのは、件の隣の部屋の住人である木ノ下くんだった。  それなりに上背もあって、手足の長い今風のイケメンなのに、ホラーがガチで苦手らしい。いやイケメンだからホラーに耐えられるとかそんなことは思ってないけど、涼しげな顔の青年が血相変えて怖いタスケテって胸に飛び込んでくる、というのは、中々のインパクトだ。  別に俺も、ホラーが得意というわけではない。  そら、怖い。天井から髪の毛が垂れ下がっていたりとか、部屋の前で黒い女がゆらゆら揺れていたりだとか、指の長さがバラバラな青白い手がおいでおいでしてたりだとか。そういう経験はこの二十八年間で経験のないものだったし、普通に『うっわ!』って飛び退くくらいの衝撃はある。  それでも、たぶん、木ノ下くん程命の危機は感じていない。そもそも俺はとばっちり的な位置に居たから、まあその程度の恐怖で済んでいるっていうだけかもしれないけど。  寺の息子である巻の伝手で、霊能者のような人とコンタクトを取ってもらった。奥襟さんという女性らしいが、俺は会った事は無いので、彼女がどういう人なのか、どの程度信用できる人なのかはわからない。ただ、今のところ頼れるのは奥襟さんだけだ。  俺達の検証と奥襟さんの推察から、どうやら悪いのは部屋で、その呪いというか受け皿が木ノ下くんになっちゃってるというとんでもない結論が導き出された。除霊を進めていく上で、一番安全な場所が俺の部屋だったというわけで、木ノ下くんが同居人になったのはそういう過程があるにはあったが。  人生で初めて年下の男の子にかわいいなーという感情を抱いた結果、現在じわじわ口説いている身としては、ただの同居人というかこのままお付き合い的なソレにそっと移行できたらいいけどねーと、思ってはいた。  木ノ下くんのことを考えていて思い出した。連絡入れとかなきゃいけない。たぶん今日はどんなに頑張っても十時までは帰れない。 「今日の夕飯出来合いかな……いい加減コンビニ弁当以外のものくわせないと死ぬ気がするんだけどなー俺じゃなくて木ノ下くんが」 「え。メシって桑名が作ってんの? 嫁料理できないの? 院生ちゃんでしょ? まあ、忙しいとは思うけど家事くらいやってもらったらいいじゃん」 「……本人やる気満々だったんだけどさ。あのー……混ざるんだよね」 「は? 何が。何に」 「木ノ下くんが料理すると、料理に女の髪の毛が混ざるの。引きずって歩きそうなくらい、めっちゃ長い黒い髪の毛が」 「…………やだ、唐突にホラー混ぜてくるのヤメテヨネ」  蕎麦食う手を止めて、げんなりした顔で巻がこわいこわいと呟く。  霊感的なものがある癖に、巻も割合怖がりだ。慣れてはいるが怖いものは怖いらしい。そもそもはっきり見えすぎて、人か幽霊かわからないレベルという話だから、それはそれで大変だと思う。 「おまえが訊いたんじゃん。俺だって微笑ましい生活に唐突にホラー混ざってくるの勘弁してほしいよ。ジャガイモの芽を取るのに必死な木ノ下くんのかわいさが台無しだよ。髪の毛に気が付かなければおいしいねって食べて褒めてちょっと照れたりなんだりする木ノ下くんが見れたかもしれないと思うとやるせない」 「ホラーもあれだけど唐突なホモもどうかと思います。おっさんくせーな桑名」 「うるっさいな。どうせおっさんだよ。湯上りの木ノ下くんの髪の毛乾かすの超楽しいおっさんだよ」 「ほも! 思ってたより結構ホモ!」  だって風呂は最恐ポイントだから、木ノ下くんのビビりっぷりも最上級になる。  最初は本当に見ていてあげないと髪の毛を洗う勇気も出なかったらしい。  温かい湯に当たってきた筈なのに、濡れた髪の木ノ下くんはいつも顔面蒼白で、精神安定を求めるごとく隣に寄り添ってくる。  普段は流されるのもどうなのかなっていう雰囲気で、距離を測りかねている感じがするのに、風呂上がりはものすごく近い。あったかい湯気の気配というものは、なかなか官能的だ。湯上りは美人のお姉さんじゃなくても興奮する、ということを初めて俺は知ったわけだ。 「社内アイドルが年下男子にご執心とか、ほんともう給湯室の女子達にちくって差し上げたいですよ……桑名さんって彼女さんいないんですか!? って毎度訊かれる俺の身になれよ! 俺だって彼女いないよ! 桑名と違って俺はおっぱいを愛してるよ!」 「いやべつにおっぱい嫌いじゃないけどさ。つかアイドルじゃないだろ。最近若干避けられてる感あるし」 「それはあれなんじゃないっすかやっぱり人間って本能とか第六感的なモノがあるわけで、いろんなものばしばし背負ってる今の桑名っちはやっぱり中々の恐怖物件なんじゃないの」 「榎並さんに至っては完全に無視してくるようになった。別に構わんけど、俺が強引に手出したんじゃないかとかむしろ付き合ってるんじゃないかとか憶測飛びまくってて至極面倒くさいです」 「榎並嬢はな~ガチだからな~桑名は嫁に夢中なだけなのにな~……つうか、木ノ下くんのメシって基本出来合い?」  思い出したように会話を戻して、巻は蕎麦湯を飲んだ。 「そうそう。大概昼はランチパックって話。まあ、大学周りって案外飯屋ってないよな。オフィス街はリーマン、OL向けのランチ場所豊富だけど。その上何作っても大概髪の毛が混入するっていうオプションついちゃったから俺が作らない日はコンビニか弁当屋。……髪の毛くらいならまだアレだけど、この前生の肉片混じってたらしくて、食う前に吐いてたよ」 「うげえ……木ノ下ちゃんまじ不幸……。桑名がメンタルケアしないと死んじゃうわなぁそりゃ。旦那今日さくっと帰ってやれよって言いたいけど、おまえの分の仕事ふっかけられたら俺が帰れなくなるから嫌ね! 一緒に頑張りましょう桑名さん!」 「……お前のその飾らなすぎる性格、嫌いじゃないよ」  苦笑いを返して俺も蕎麦湯を流し込んで、よし戦場に帰るかーってところで携帯が鳴った。どうした社内で何かがあったかと一瞬身構えたが、液晶には件の木ノ下くんの名前があった。  巻に適当に札を渡して、店を出たところで通話を取る。  じつはこの電話という機械も厄介で、案外妨害が入る。メールもラインも大して実害はないのに、通話となると急におぼつかなくなった。 若干どきどきして出たが、ちゃんと木ノ下くんの声がした。良かった。本人だ。たまにいきなり知らない男の叫び声とかが聞こえてきたりするから怖い。 「もしもし、どうした? なんかあった?」 『あ、すいません、ええと、ちょっとおれも急ぎで、明日急に講義の手伝いが入っちゃって準備が終わらなそうでちょっと何時に帰れるかわかんない……泊まるかもしれないです』 「あ、ほんと? 平気? って訊くのもアレか……えーと、お守りちゃんとつけてる?」 『はい、勿論』 「……深夜になっても、巻ん家の車で迎えに行けるかもしれないから。終わりそうな時間に一回連絡してみて。正直俺の仕事の方もいつ終わるかわっかんないけど」 『すいません、ちょうありがたいです……』 「……なんかあった? 疲れてるだけ?」  いつもより声のトーンが低い気がする。  そもそも大してテンションが高い子じゃない。ホラー体験ばかりしているせいで、やたらビビっているところしか見てないが、たぶん普段は真面目が服を着ているような性格なんじゃないかなって思う。  それにしてもげっそりしているように感じる。そんなに忙しいなら切った方がいいかなと思うが、つい心配になって声をかけてしまった。 『いや、あの……今日、購買で焼きそばパン買ったんですけど』 「うん」 『……ついに購買のパンの中にも人の爪が入ってました』  ぐったりした声で告げられた事実は正直中々の衝撃で、思わず声を失う。  え、それもう、アレじゃない。キミ、外でメシ買えないじゃない。というかご飯食べれないじゃない死ぬじゃない。  一応奥襟さんに言われた通り、毎日朝二○二号室の玄関に塩と酒を置いている。最初は腐ったような匂いがひどかったが、最近はそうでもなくなってきた、と思っていた。まあ日に日に廊下に見える髪の毛は増えて行って、部屋に至ってはジャングルみたいになってたから改善されてるのかはアヤシイと思っていたけど。  全然駄目じゃないの。  むしろ酷くなってるんじゃないの。 「…………明日から俺が弁当作るよ」  そう言って通話を切ってから、会計終わった巻に結構真剣に『お祓いしてくれるとこ紹介してくれたら焼き肉を奢ります』と、頼み込んだ。

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