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壬晴(みはる)さんのひとりごと
さて、まずはこの世界の遊郭という場所についてつらつらと書いてみようと思う。
江戸の時代に比べると、区画縮小されてはいるが、その存在感は今も健在だ。
東響の遊郭は浅草や深川、品川といった各方面に散らばっており、その中でも浅草から馬道通りを真っ直ぐ下った先に位置する吉原は、他の遊郭と比べると独特の雰囲気を纏っていて、大門を通れば誰もかれもがこの街にある独自のルールに従って遊ぶことを要求される。
例えば・・・。
その一。見世に入れば客よりも遊女の方が立場は上であると心得よ。
その二。見世には見世の作法がある。初めての者はとかく周りを見て習うに限る。
その三。通う先の遊女が他の男を相手にしていたら、潔く他へ移るか、日を改めるべし。
その四。遊女とは、儚き一夜の夢の華。その花を手折るような無粋な真似は止すべし。
その五。金を積めば好きに出来ると思うような客は要らぬ、荷物まとめてとっとと帰れ。
・・・・といったような約束事が、実は柱の影にうっすーい墨字で書かれているのだ。
どうして薄い墨字かって?まぁ・・・この紙がでんと貼られていたのはかなり昔の話であるから、間違いなく劣化だろうね。でもなんていうかさ。ちょこんと貼られたこの紙も場所と共に長い時代を過ごしているわけであるから、古くなったからといって何でもべりべりと剥がして新しい物だけを取り入れるというのは、聞こえは良いように見えるのだけれど、なんだか味気が無くってね。
特にこの界隈は、見世の外観もその暮らしも当時のままで、あえてそれを残していたり、贔屓(ひいき)にしている問屋に料亭、髪結いに屋台といった、この場所に深く関わってくれる人々の中には、新しい風をいち早く呼び込む者がいる中で、やっぱり変えたくないという理由から当時の名残を色濃く残しているものもやっぱりあって。それがうまくかみ合わなくて、どうしても変化に戸惑いを見せてしまう。実際、私の見世の屋根から見える景色はモダンそのもの。洋風建築が軒を連ねるその上を、蒸気列車が始終とんとこ走っているのだもの。
まったく不思議なところだよ。ここは。
・・・さて、話を戻そうか。
他の職種と違う点は、遊郭については客よりも見世の方が一枚も二枚も上に位置するという点にある。相手がどれほどの資産家であろうが、偉ぶって遊女の誰かを乱暴に扱ったり、手を上げたとなれば、すぐに見世の楼主が用心棒を連れて部屋へと出向き、即刻見世の外へと叩き出すことが許されている。叩き出された者は外で待ち構えている警備の者の手によって大門の外へと放り出されたとしても文句を言う事は出来ないのだ。
時代の流れと共に、遊郭を利用していた政治家や華族の皆さまは、こぞって花街へと繰り出し芸者と遊ぶようになったので、少しずつ営業区画は縮小されては来ているけれど、それでも独特の雰囲気と一夜の夢を魅せる事に変わりはなく、時代が変わった現在も広く大衆に愛されている。
おお。そうだそうだ。
遊郭だから必ず鼓楼へ行かねばならぬのか?と言えばそうでもなく、格子の隙間から遊女を見て帰るだけの、いわゆる『冷やかし』をする客も少なくない。
ただ、観光地を含めた他の場所と違う点をあげるとすれば、あまり女性は近づかぬ方が良いだろう。
見世の遊女は見世と大門の中にある独自の法によって守られてはいるが、それ以外の女子は知らぬ存ぜぬという影の部分があるからだ。
女子が来るのを止めはせぬが、やはりここは艶が色濃く残る町。
何がおきても知らないよ。というのが大門の中に居る者達の総意であるから、やはり近づかぬ方がよろしかろうというのが先ほどの理由である。
はてさて、金髪碧眼の美青年は本日も一体何処へ行くのやら・・?
ちょっと覗いてみましょうか。
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