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学生食堂とオムレツライス
注意書き
この物語には、暴力的、複数人との行為等、不適切とされる発言や表現が一部含まれております。
苦手な方はお気を付けください。
実際の行為を推奨する目的でその表現を使用していません。
作品を書く上で必要であるとの考えから、その表現を用いております。
ご理解いただけますと幸いであります。
秋を軽々と過ぎて、気が付けば冬が顔をひょっこりと覗かせる十一の月。
自分がいた紀州の山奥もこの季節になると雪がちらちらと空を舞っていたものだが、雪が降るこの光景も自分が住んでいた村とそうそう変わらないらしい。
ただ、違いがあるとするならば、故郷では朝陽が昇ると共にコケッコーとけたたましく鳴く鶏の声が何処の家からもよく聞こえたものだが、生憎とここ東響ではそのような声は聞こえて来ない。代わりといってはなんだが、学校や職場へ向かう人の声がちらほらと下宿の窓際からかすかに聞こえてくる。その声を耳にする度に、圭一は「ああ。朝が来た」と重だるく憂鬱な気持ちで布団の中へと潜り込むのだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
枕元に置いてある時計を見る。
入学祝にと叔父がくれた懐中時計は朝の七時を指さしていた。
「・・・・・・・・んー・・・・・」
「・・・・起きなよ・・お坊・・」
優しい声が降りて来る。この声は恐らく蛇女だ。
「・・・んんぅ・・・」
圭一はけして朝が弱いわけではない。村にいた頃は早朝から両親について行き、畑を耕していた。けれども、この季節になるとどうしても布団から出たくなくなってしまう。
あの氷のように冷たい水で顔なんぞ洗った日には自身まで凍り付いてしまいそうだ。
「・・・・・ほら。朝だよ。起きな」
「・・・ゃだ・・」
「もう。ほうら。起きないと遅刻するよ?味噌汁。作るんだろう?」
「・・・・うん」
「・・・・それとも煎餅にするのかい?」
「・・・・うん」
「どっちなんだい?」
そう言って、彼女が笑う。蛇女の声は何処までも優しくて。
圭一はその心地よさに、うとうとするのを未だ止めることが出来ないままだ。
「こぉら。お起きよ。お坊」
ぺちぺちと布団を叩く音がする。
「・・・・・・んー・・・」
「・・お起きったら・・!」
「・・・・ああ」
そう言いながら圭一が布団から顔を出す、と同時に土間に置かれている水がめを見た。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
この下宿には蛇口をひねれば水が出るという簡易水道なるものは存在しない。代わりに中庭にある共同井戸で水を汲み、部屋に置いてあるこの水がめに貯めておくのだ。
各家庭に置かれているような置き流しも無い為、洗い物は主人の炊事場を借りるか、桶に水を貯めておき、排水のみを主人の炊事場の置き流しに捨てるかしている。
排水をいちいち捨てに行くのが面倒なので、どうせなら炊事場を使わせてほしい。井戸水をいちいち煮沸して使うのは面倒なので、せめて湯だけでも分けて欲しいと、この家に住む下宿人たちは皆思っているが、強制退去を恐れて一度も口に出したことはない。
土間の炊事場には水がめの隣に飯炊き用の釜が乗った小さなかまどがひとつ。
ちょこんと置かれている。
このかまどを使って圭一は様々な料理を作っているのだが、かまどひとつで作れるものと言えばどうしても煮炊き物に限られてしまうので、実家から焼き物に使う用にと持参した炮烙 は未だ未使用のままだった。
「・・・・・・・・・・・・・ごはん・・んんん~っ」
「・・・・煎餅にするかい?」
「・・・ん・・・ああ。駄目だ・・・やっぱり火が要る・・・」
「火鉢使えば良いじゃないか・・」
「・・・炭が要るじゃねえかぁ・・炭がぁあぁ・・」
「・・・・・相変わらずの聞かん坊だねえ・・」
蛇女のため息にも似た吐息と共に、先ほどから同じ言葉のやりとりをひたすら繰り返した後、観念したかのように圭一はのろのろと重だるい体を起こしたのだった。
「うー・・・何度乗っても慣れねえなぁ・・」
大学までは約一時間。下宿屋を出て徒歩で駅まで行き、七時四十五分発の三等空上各駅列車に乗り込み、列車に揺られて大学近くの駅へと降りる。その間の片道切符の価格が八銭程。
ただ、毎日往復で通うとなるとかなりの出費となる為、懐事情がやや苦しくなってくる。
こういう時、敢えて口には出さないが、叔父からの援助が無ければこのように毎日列車に乗って通うことなど、恐らく不可能だろう。
本当に叔父にはいくら感謝をしても足りないほどだ。
「・・・・・コスの蒸気すとぉぶか・・・」
大学へと向かう道すがら、壁に貼られたうら若き女性の絵と共に『コスの蒸気すとぉぶは如何ですか』と書かれた商品の宣伝広告をよく目にするようになったせいか、そんな台詞がついと言葉に出てしまう。
この国を覆う『コス』という名の蒸気エネルギー。
このコスのおかげでこの国の生活は以前に比べると、より豊かさを取り戻している。とは言っても、その恩恵を受けているのは東響をはじめとした蒸気都市の、しかも一部の富裕層だけで、都会から離れた田舎の街を含むほぼすべての家庭ではまだまだ昔ながらの生活を送っている者が殆どだった。
かくいう圭一も火鉢を取り出しては炭を熾 して暖を取っている。その生活が悪いと思った事は一度もなかったが、ここ東響では、火鉢を使う者よりも蒸気暖房器具とやらを使って、ぬくぬくとした部屋で過ごす。そんな家庭を増やしたいのだろう。
ここの所、やたらと新聞などでもこの宣伝広告を見かけるようになってしまった。
しかし、その価格が高すぎる。五円からなんて意味が分からない。
これでは家賃とあまり変わらんじゃないか。
しかし、世間と言うものは狭いもので、かくいう自分の叔父の屋敷では確かそんな器具を家人たちが使用しているのを見た事が何度かある。
蒸気すとぉぶの見た目といえば、色は黒々としていて暖炉に比べると少し小型だ。縦に向かって細長い形をしているその先に細長い煙突のようなものが真っ直ぐに伸びている。
それで暖を取りたくなったら、煙突の側にある蓋を開けて水を投入する。
メモリが満タンになったら、フタを閉めてボタンを押すと内部が青白く光り、すとぉぶ内のコスから発せられる熱で水が少しずつ煮沸され、煙突を通って温かい温風に変化した蒸気が部屋をぬくぬくと暖めてくれる・・・らしい。
大体、一時間ほどでタンク内の水量が限界に近付く為、隣に水桶を用意する必要はあれど、火鉢に比べるとはるかに暖かく、また水が無くなればコスの動きも自動的に静止してしまうという安全性も加わって、西洋風の屋敷に住む富裕層達の中では、この製品の愛用者が少しずつだが増えてきているらしい。
床に直置き型の製品しか市場に出てはいないが、いつか持ち運ぶことが可能なほどの小ささになる日も来るかもしれないと聞いたことがある。
けれど、叔父は蒸気すとぉぶよりも暖炉の火の方がお気に入りなようで、秋になるといそいそと木を伐りに出かけ、いくつか積んで置いた薪を取り出して、自ら暖炉に火を灯している。
パチパチと微かに刎ねる薪の音を耳にしながら暖炉の側に寄る。と、なるほどこれは温かい。
温かいだけでなく、ゆうるりと灯った暖炉の火が何処か優しい気がして。
「新しいものはけして悪くはないんだが・・・やはりね・・」という叔父の言葉に圭一は深く頷いてしまった。新しい器具も良いが、たまには昔に浸ってみたい。そんなふうに思う時がある。とは言っても、圭一の住む下宿にはそんなハイカラなものは一切置いてはいないのだけれど・・・・。
「・・・・・・。」
ふーっと息を吐く度に、空気に白色が混ざる。道行く人に混ざりながら圭一は壁に貼られた劇場の上演広告を見た。オペラ歌劇の上演を知らせる広告の隣にはもうひとつ。
『いつでもすぐに火が灯る。使い方もらくちんな蒸気七輪は如何ですか』と底の浅い鉄鍋を片手に微笑む割烹着姿の女性の宣伝広告が目に留まった。
炊事場の調理器具だって例外ではない。今ではコスの蒸気エネルギーを利用した蒸気七輪や蒸気天火 なる商品が店で販売されている。
アイロンなら分かるけれど、蒸気七輪の宣伝広告を最初に目にした時には、七輪ってかんてきだろう?一体どうやって使うんだ?と首を捻ったものだが、ここ東響に吹く西洋の風は、他所に比べるとやや時代が早いらしい。
「どうしたんだい?」
襟巻の隙間から蛇女がひょっこりと顔をのぞかせる。その時、はるか上空でポーッと汽笛が鳴った。圭一たちの頭上を通っていくのは市内を走る空上列車だ。
市内を走る空上列車は他県を通る列車とは異なり、三等客車のみとなっている為、一等車両のような豪華さは見当たらない。けれど、乗りなれているという事もあってか、こちらの方が乗っていて心地が良い事だけは確かだった。
町中を走る路面電車であれば圭一も何度も見た事がある。ここに来て初めて各駅停車の空上列車を見た時には、ひどく驚いたものだが、時と言うものはおかしなもので、毎日のように空を走る:辻待ち自動車 や列車を見ていると、自然と驚かなくなってしまった。
「・・・・いいや、何でもないよ」
ちらりと列車の行く背を眺めながら、彼は呟くようにそう言うと、大学へと急ぐ。
彼の側を過ぎる馬の音が微かに響いた。
「・・・・・何にする?」
「・・ん?」
正午の休憩を告げる鐘が鳴る。鳴ると同時に席についていた学生たちがこぞってぞろりぞろりと講義室を出て行くのが見える。やあ。本日も退屈な講義だった。眠くなるのをなんとかこらえながら、半分夢うつつの体でぼんやりとしていた圭一の頭上を聞きなれた声が通り過ぎていく。
「霧谷クン。また寝ていたのかね?」
「・・・いや・・起きてたよ」
「本当に君は・・・時間が来るとどの講義でも寝てしまうのだナァ」
そう言って隣に座っている友が笑う。彼の名前は橋谷晋一郎と言って圭一とは同期になる。
同じ日に入学式で出会ってからの間柄だ。彼の生まれは東北で気候はやや寒いらしい。
現在はある資産家の屋敷で世話になりながら、大学に通っているのだそうだ。
郷里の事に関しては詳しい話を聞いたことはないけれど、どうやら妹が一人いるらしい。
歳の差だとか、見た目とか、そんな細かいことをぐちぐちいうタイプではないので一緒にいて気が楽だ。
「そんなに外国語の授業はつまらないものかね」
そう言って困ったように笑うのは、もう一人の友人。斎藤だ。彼は圭一や橋谷よりも歳が上の二十七歳で、体格は痩躯でひょろ長い。あだ名はのっぽだ。
最も本人にはこのあだ名の由来は口が裂けても言えない事なのだが・・。
彼は同じ関西出身だが北の地方の生まれらしく、少しばかり言葉の端々に訛りに似た名残りがある。けれど郷里の言葉が失われる事無く日常生活の中で生きているという事は、けして悪い事では無いと圭一は常々思っている。この東響に来る者の殆どは地方出身者が多い。
地方の村々では「東響の大学に受かる」というような事があれば、村を挙げてのお祭り騒ぎへと発展してしまいかねない。
村を背負って立つ若者がいる、それだけでも本当に凄い事なのだ。
殆どの学生は親からの仕送りも薄い為か、圭一のように華族をはじめとする富裕層の皆々様に取り入って学資援助を受けている者も多いと聞く。質素な服に身を包み、常に本を数冊片手に持っている。屋敷の一角に部屋を与えられ、家の雑事を行いながら、そこでひたすら勉学へ励むのだ。けれども変な話。書生だってお洒落はしたい。
けれどもお洒落なんぞをした日には「書生たるもの、贅沢なんぞはもってのほか。贅沢は敵だ!」なんてお世話になっている屋敷の主人に言われかねない。そんな書生たちの中では最近、ちょっとしたお洒落が流行となっていることを、厳格なおとなたちは全く知らない。
袴の紐は通常なら垂らさずに仕舞い込むのが常だ。
けれども皆の服装たるや、たらりんたらりんと袴の紐がだらしなく垂れておるではないか。
これは一体どういう事だと圭一は最初首をふうむと捻っていたが、友人の橋谷に「霧谷クン。あれはお洒落なのだよ」と指摘されて「ははぁ。なるほどぉ」と張り子の虎の如くぶんぶんと首を振っていた記憶がひっそりと蘇ってくる。よく見れば皆々、袴の紐が垂れている。
友人の二人もそうだ。かくゆう圭一も皆と同じように袴の紐を垂らしては、見えない所でにんまりにんまりと笑ってもいたりするのだから、環境と言うものは本当に本当に恐ろしい。
圭一のその服装について叔父は何も言わなかった。言わない代わりに笑ってもいた。
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