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「・・・逃げようとしてんじゃねえよ」
「・・っ・・」
逃れようと振り上げたはずの腕が掴まれる。
「・・・・・・・・」
何とか振りほどこうと思うのに上手く力が入らない。
荒い息が首元にかかる度に嫌悪感がじわじわと咲里の脳内を侵食していく。
「・・ひっ・・」
ざらりと首筋を舐められた事に気が付くまで、少しの時間が必要だった。
「・・ゃだ・・いっ・・いぅ・・」
全ては無意識だった。
湧きあがる嫌悪感で、咲里の視界がぶわりと揺れた。
「へぇ・・よく見りゃあ、女みてぇな肌してるじゃねえか」
「・・・っ・・・」
ぶるぶると顔が痺れ、唇の震えが酷くなっていく。それをどうする事も出来ないまま男を見る事しか出来なかった咲里の前に沢山の腕が伸ばされようとしている。
「動くんじゃねえよ」
掴まれたまま堅くなった両腕をそのままに咲里が何度も首を振った、その時だった。
「おい!何やってる!」
「・・・・・・・・・・・?」
一際、甲高い声が、細い路地に響き渡る。
その声に男たちの腕が、ふと緩んだ。
「・・・・・・・・・・・ぇ?・・」
男の腕が離れ、その場にずるずると座り込みながら見た光景。
わずか先に見覚えのある者が立っている。
自分よりもひとまわり小さなその身体に、咲里の表情が僅かに曇った。
「・・・っ・・な・・」
開けた着物を隠すようにへたり込む友の姿を遠目に見ながら、ずんずんと圭一が歩いて行く。よく見れば、恰幅の良い和服姿の男が三人、自分を見下すように立っているではないか。
中途半端に伸びた男の腕と怯えた様に座り込む友を見て、圭一の全身がカッと熱くなった。
「・・なんだぁ・・この餓鬼」
「小せぇ体しやがって、俺たちに何の用だ?」
いきなり現れた小柄の青年に対する男たちの視線を直に受けながら、庇うように立ちふさがる圭一の姿に要の目が丸くなった。
「・・・なんだじゃねえよ・・寄ってたかって大の男が何やってんだ。恥ずかしくねえのか!」
「んだと、この餓鬼」
グッと男の腕が圭一の着物に伸びる。腕にも声にも怯まない態度で圭一が着物を掴む男の手をグッと掴んだ。
「・・・放せって言ってんだ・・この色情魔がっ!」
「なんだとっ・・!」
圭一の声にカッと血が上った男の拳が飛んで来ようとしたその刹那、「霧谷クン!」と名を呼びながら滑り込んでくる影が見える。
「橋谷っ!?」
「ぐっ!キミ。足が速いよ!」
そう言いながら、橋谷が圭一との間に入り込み手を突き出した。どんっと拳を受け止めながら、鞄で男の身体を押し込めるその様に圭一の目が丸くなる。
「巡邏殿!こちらです!早く!」
斎藤の声が遠くに聞こえる。その声を耳にした男達の顔色がサッと変わり、同時に走り出すのと、斎藤が駆け寄って来るのはほぼ同時だった。
「・・大丈夫だったかい?」
はぁはぁと息を切らせながら斎藤が困ったように笑いかける。
その表情に圭一の表情も丸くなった。そうして心の臓が痛いくらいに五月蠅く鳴っているのを知った。
「・・・・・・・・」
忘れていただけで、ホッとした頃になって自分は酷く緊張していたのだと、圭一はその時初めて気が付いたのだ。
それくらい必死だった。
「・・あ・・ありがとう・・助かった・・」
「さあ。ここを離れないと、奴らがいつ戻ってくるか分からないからね」
「ああ・・でも巡邏殿が来るんだろう?説明をしないと」
「ああ。あれかい?はったりだよ。ああでも言わなきゃ、収まらなかっただろ?」
そう言って斎藤が笑う。その声に橋谷もホッとしたような表情を見せた。
「・・・おい・・きんぱつ・・おい」
「・・・・・・・・・・・ぁ・・」
幾度か瞬きを繰り返したせいもあってか、流れ出たはずの涙はいつの間にか止まってしまっている。と、同時にぼんやりとしていた咲里の意識がはっきりと覚醒していく。
腰を降ろしたまま、パチパチと自分の頬を手の甲で叩く圭一と視線が交わったのは、それからすぐの事だった。
「・・・・・・・・大丈夫か・・要・・」
「・・・ぁ・・・・」
自分を呼ぶその声に。心配するその視線に。その指に。
じわじわと固くなっていた感情が解れていく。
その時初めて、全身がガクガクと震えていたことを知った。
「さあ。行かないと・・霧谷クン」
「・・ああ」
圭一が立ち上がる。その時、無意識に咲里の腕が動いた。
「まっ・・待って!・・いっ・・行かないで・・」
グイッと着物の裾を掴みながら、圭一を見る。
「・・・・・・・・・・・」
その腕を振りほどく仕草も見せないまま、圭一が咲里を見た。
拒絶するでもなく、同情するわけでもない。真っ直ぐな視線に咲里の目が丸くなる。
「・・・・・・・ここからは離れる。けど、お前から離れたりしない」
嘘の混じらない声。その言葉に、咲里の心の臓が一際高い音を立てた。
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・行くぞ」
「・・ぁ・・・」
へたり込んで力の入らない腰を浮かせるように圭一が両手を伸ばしている。
その手を取っていいものかと、咲里の指には若干の迷いが見えた。
「手伝うよ。僕も」
そう言って斎藤が手を伸ばす。
「え・・」
その細い腕の何処にそんな力が隠されているのか。そう思わずにはいられないくらい、斎藤が軽々と咲里の腰を支えるように抱きかかえている。
恐らく自分が抱えようとしても、地にずるずると相手の足がつくだけで、ああも軽々とは運べないだろう。その様を横目で見ながら、やっぱり身長が高いっていいなと彼は改めて思ったのだった。
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