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「・・・すみません・・ご迷惑を・・・・おかけします」
ふるふると身体の震えを上手く止められないまま、咲里が斎藤に抱えられながら呟くその声に「ううん。いいんだ。気にしないでくれ」と言ったきり、彼は何も話さなかった。
何があったのか聞くわけでもない。好奇の目で見るわけでもない。自分の前を歩く圭一と友人たちのその気づかいに、咲里は心の中で何度も頭を下げた。
「それで、彼を何処へ?」
「・・・そうだなぁ・・」
「あの・・・」
咲里の声に一同の足が止まる。
「吉原に・・壬暁屋 という見世があります。そこへ、僕を連れて行ってください」
頼みます。そう言って咲里が頭を下げる。
『壬暁屋』
その見世の名に斎藤と橋谷の目が大きくなる。
『壬暁屋って何だ?』と首を傾げる圭一の前後で、「分かった。壬暁屋だね」と声に出して言ったものの、心の中では『この人いったい何者?というかいきなり行ってもいいものなの?』という疑問が斎藤と橋谷の中でふつふつ湧き上がっていったのもまた事実ではあった。
「では、頼みます」
「あい。ご苦労さんどした」
見世先まで行った先で、顔馴染みがいたのだろう。顔を腫らせた咲里の姿を見るや否や「咲里様!?」と見世番の男が両手を上げてどったどったと駆け寄って来る姿が見える。
「・・やぁ・・」
「まぁまぁ・・なんてお姿をしていなさるんだい・・お可哀そうに」
「やられてしまったよ・・世話になっても?」
「ええ!ええ!ようござんすよ!さっ早く!おい!誰か!誰かいないのかい!」
そう言いながら、小太りの男性が見世の奥へ向かって、わぁわぁと叫び始めたではないか。
「・・何さ・・騒がしいったらありゃしない・・って・・ええ!!」
「要ちゃんじゃないの!」
「いやや!どないしはったん!?」
「さぁ!早くこちらへ!」
と、男性のその声に遊女たちが集まって、ずるずると彼だけが引っ張られて行ってしまった。
呆気に取られる三名を余所に遊女たちが我先にと咲里を引っ張っていくその光景を眺めながら、橋谷と斎藤は、きっと恐らくあの方は自分達とは住む世界が違う御仁なのだろうと、そう思わずにはいられなかった。
「・・・・・・・・・・・・・」
大門を出て夕日を背に歩く。斎藤と橋谷は摩訶不思議なその男について何も言わなかった。
ただ、色々と事情があるのだろうとだけ話して、その話題はそれっきりだった。
「結局・・カフェーには行けなかったね」
そう斎藤が笑う。
「・・まぁ・・そんな日があっても良いんじゃないか」
それだけを言うと「じゃあ、また明日」と橋谷が去っていく。
その背を見送り、手を振りながら、「じゃあ・・」と圭一も別れようとしたのだが「待って。近くまで送っていくよ」と斎藤に言われてしまった為、ありがたくその好意を受け取ることにしたのだった。
「・・・・・今日は、ありがとう」
「なんだい?急に」
「・・・何となく」
「いきなり鞄を捨てて走り出すのだもの。驚いたよ。前も思ったのだけど、キミは熱くなると周りが見えなくなる所があるのだね」
「・・ああ・・うん。よく言われる。治さなきゃと思うんだけど・・」
「なかなか、冷静になれる者はそう多くはないよ」
「そうかな」
「うん。ああ、でも・・」
ピタリと斎藤の足が止まる。それに気が付いた圭一が振り返って彼を見た。
「・・僕が言えた義理じゃない事はよく分かってる。けれどね、霧谷クン。友人はよく見て選んだ方が良い」
「・・・・・・・ああ」
「思慮深いキミの事だ。彼も君にしか見せない何かがあるのだろう。それについてよく知りもしない僕が言うのは間違っていると分かっている。友人を切れとは言わない。彼の容姿を見て言っているわけじゃないという事だけは言っておくよ」
「・・・ああ」
「・・せめて、何かあったら僕や橋谷クンを頼って欲しい。キミはどうも一人で抱え込んで突っ込んでいくところがあるように思うから」
「・・・・・・・・・・・」
斎藤の真剣な表情に、圭一は何処かくすぐったくなった。斎藤は心配しているのだ。
今日のように一人で突っ込んで、向かっていく猪気質の自分を心から案じてくれている。
それが分かって、圭一は胸のどこかがほっこりと温かくなっていくのを直に感じずにはいられなかった。
「・・うん・・ありがとう・・ごめん」
「謝る必要はないよ・・本当は橋谷クンにも同じことを言いたいのだけどね」
そう言って斎藤は笑った。困ったように笑うのは彼の癖だと思うが、圭一は彼のその笑顔が好きだと思った。遠慮がちに笑うその表情を見ていると、どこか安心するのも事実で。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
蛇女がちらりと斎藤を見る。
「・・・・・・・・・・・」
その時の圭一は気付かなかった。にこにこと微笑むように歩く彼の隣で。
一瞬、隠すように俯いた斎藤の目の奥が、冷ややかに凍っていたことを。
『・・・ほぉう・・・くわばらくわばらといったところかい・・穏やかじゃないねえ・・』
『?何か言ったか?』
『いや。何も言ってないよ』
それっきり、蛇女は黙ってしまった。
斎藤とも別れて下宿屋へと帰る。一人になったのを確認してか、蛇女がふわりと仮の姿から着物姿の女性に戻った。相変わらず銘仙の柄が良く似合う。彼女はゆったりとした手つきで袂から煙管を取り出すと煙をゆっくりと吸い、ゆうるりと吐き出した。
微かに白く煙るそれを眺めながら、圭一は足元を見た。
「・・どうしたんね。坊ちゃん」
「・・・いや」
「さっきのひょろ長い友人の事かい?」
「いや」
「じゃあ。美丈夫殿の事かい?」
「・・・・・」
「図星かい。相変わらず嘘がつけないねえ」
「・・・・・・・」
蛇女の甘く香る香が、ふわりと匂ってくる。
「・・・やり過ぎた火遊びのツケが回ったってところだろうよ」
「・・・どういう意味だ?」
「・・・・・・・・」
蛇女は何も言わずに圭一の頭をゆっくりと撫でている。その表情には憂いが見えた。
「そういえば・・あんた。さっきニヤついていただろう。気味が悪いったらありやしないよ」
「ああ!あれな!」
ふっふっふっふっと笑う圭一の声に、蛇女のこめかみが微かに痛んだ。
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