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第15話
マシューはグッと奥歯を噛みしめる。怖いのは売られてしまうことではなかった。
「アレはβですので…」
主人が申し訳なさそうに眉を下げてそう告げると、皆同じ反応を示す。情欲と支配欲に塗れた笑みが、一気に興味を失い侮蔑の笑みに変わるその瞬間。
マシューはそれが、嫌いだった。
「ハッ!なんだ兎のβか。」
ならば用はないと言わんばかりにマシューの隣を素通りするお客様に、マシューはただペコリと小さなお辞儀をするだけだ。
お前には価値がない。
ずっとずっと言われてきたことだ。マシュー自身、この奴隷商店において自分ほど商品価値がない者はいないと思っている。けれど、実際に目の前でお客様にガッカリされるのとではやはりダメージが違うものだ。
せめてΩだったら。
せめて女だったら。
後々酷い目に合うとしても、存在を否定され続けるよりはもしかしたらマシだったのかもしれないと、この奴隷市が開かれる度に思う。
マシューはお客様と主人が廊下の角を曲がって見えなくなるまで見送ると、そそくさとその場を去りお湯を沸かしてお茶を入れた。
カップに注ぐための数分の間、マシューの心に刺さった棘が膿んだようにジクジクと痛み出す。じわりと瞳が濡れるのを感じて、マシューは天井を見上げた。
ふわふわと立ち上る湯気は、一体どこへ行くのだろう。
普段なら少しも気にならないことを考えて、マシューは虚しくなって首を振りお茶を注ぐ。コポポと小気味良い音が響き、茶葉のいい香りが漂ってマシューは深く息を吸った。
ティーカップをトレイに乗せ、台所を出る。ティーカップから立ち上る湯気は、マシューの頭上に足跡を残していった。
ふわりふわふわ。
風の赴くまま、空気の流れるまま。
自然の摂理に逆らうことなく、それでいて奔放に大気をさすらう姿は、マシューが忘れようとしている恋心を刺激した。
マシューは思わずギュッと胸元を握りしめた。そこにはリチャードから貰った小さな紫水の指輪が揺れている。きっと彼を忘れることが出来るまで、自分は指輪を首からさげるのだろうと思う。
「リチャード様…」
今、どこで何をなさっていますか。
あの雨の日から会っていない。今まで遭遇したどの場所にも、彼はもう現れなかった。
旅行者だと言っていた。もう故郷に帰ったのかもしれない。だとしたらもう会うこともないだろう。
けれどそれでいい。また会ったら、益々想いを募らせてしまうのは目に見えていた。
あの方の隣には綺麗なお姫様のような人が似合う。そう、例えばあのブロンドの髪をした人間の少女のような。
と、そのとき。
ガシャン!という不審な物音と人が倒れる音がした。
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