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第16話

なんだろう、と振り返るのと、悲鳴が上がるのは同時だった。 「誰か!誰か早く氷と冷水を!!」 別の奴隷商店の者か、バッチリ着飾った女狐の甲高い悲鳴がメインストリートに響く。 その向こうに見えるのは美しいブロンドの髪とほっそりとした白い脚。そしてマシューが使った、まだ熱湯が入っていたはずのヤカンが転がっている。 ドクン、と心臓が鳴った。 悲鳴を聞きつけて人が集まってくる。奴隷を選別していた客たちも、寝静まっていた住民たちも皆集まってくる。マシューの足は動かない。まるでそこに根を張ってしまったかのように。 どこの誰かもわからない大きな牛の獣人が、人を一人抱えて走り去っていく。揺れるブロンドの美しい髪、白鳥のうなじのような白くしなやかな脚、白魚のような儚い手。 マシューが知るそれからかけ離れた、(ただ)れた顔。 「おいッ!何事だ!?」 騒ぎを聞きつけた主人が先ほどマシューを貶した客と一緒に応接用テントから出てきた。マシューは二人に出すはずだったお茶をトレイに乗せたままそこに突っ立っているしか出来なかった。 「あの人間の子、おたくの奴隷?私が駆けつけた時にはもう…あのヤカンの熱湯を被ったんじゃないかしら…」 このお茶を淹れるための熱湯が、あのヤカンの中に残っていた。あの少女はその熱湯を自ら被ったのだとすぐに悟った。 マシューの背筋を嫌な汗が伝う。 彼女のことを、主人はなんて言った? 「マシュー!!こっちに来い!!」 憤怒の形相で主人はマシューを呼び付けた。 逃げなきゃ。 弱者の本能が警告するも、染み付いた習慣が主人の方へと向かわせる。鈍い足取りはせめてもの抵抗だ。 しかしそれも主人の怒りを買ったのか、それとも激情のあまりジッとしていられないのか、主人は瞳を真っ赤に血走らせて大股でマシューに歩み寄り、力一杯頬を殴りつけた。 「このッ!このバカがッ!!何年ここで働いてるんだこのッ…!!」 言葉を区切る度に力一杯殴り蹴りされて、本能かそれとも経験か或いは両方か、頭だけは庇って歯を食いしばる。目に溜まってくる涙は痛みからくる生理的なものなのか別の何かなのかわからなかった。 ごめんなさい、許してください。 果たして自分が悪かったのかさえマシューは考えない。いつまで続くかわからないこの理不尽な制裁をやり過ごすための謝罪をする。それさえも満足に言葉にすることが出来ずに、ただただ衝撃に耐えた。 「最初から、最初からお前なんざ捨て値でも売り飛ばしてしまえば良かったわ…ッ!避妊に失敗したとはいえ血の繋がった我が子と思って手元に置いたのが間違いだったわ!!」 マシューの大きな耳が捉えた今初めて知る事実。しかしそれは主人が懐から取り出した愛用の長鞭を目にした瞬間に頭の片隅に追いやられた。

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