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第17話
散々蹴られ殴られしたボロボロの身体が反射的に起き上がり、マシューはただただ脳裏の警鐘に従ってあちこち痛む身体を引きずって走り出した。
あれで打たれたことはない。
ないけれど、あんなもので打たれたらどうなるかくらいわかる。それもあの怒りようだ、打ち身ではまず済まないだろう。
逃げ惑うマシューを、通りすがりの客たちがクスクスと笑う。世界の全てが敵のようにさえ感じる。ここは野獣の寝床か、それとも悪魔の根城なのか。
恐怖に支配された身体が痛みを忘れて進んだ距離はたった数メートル。既に脚に力が入らなくなっていたマシューは膝から崩れ落ちて擦り傷を作った。
立て。
立って逃げろ。
マシューが再び立ち上がるよりも早く、努力虚しく追いついた主人がグイッと力任せに耳を引っ掴んで無理やり立たせた。眼前に広がる主人の激怒の表情。ふーふーと鼻息がかかって、マシューは痛みと不快感も相まって眉を顰めた。
「あの小娘一人売れるだけで、お前も含めた全員の何年分の飯になるか…!」
「ごめ、申し訳…」
「ええい喋るんじゃない鬱陶しい!!」
何が逆鱗に触れたのか、きっと今は何をしても神経を逆撫でするのだろう。主人はマシューの身体を力一杯突き飛ばし、マシューの小さな痩せた身体は簡単に吹っ飛んだ。その拍子に首にかけた麻の紐がブツリと切れ、大切に大切に持ち歩いていた小さな紫水の指輪が地を転がっていき闇夜にキラリと輝いた。
それを拾おうと伸ばした手は無残にも空を掴む。指輪は、主人の手に。
「…ん?なんだこれは…」
主人の獣毛に覆われた大きな手に光る輝き。マシューは思わず叫んだ。
「これは…紫水晶 ?本物か?」
「だめ、返してください!」
「うるさいわッ!」
「うぐッ…!」
マシューの抗議など、主人は聞き入れてはくれない。
繁々とその指輪を眺めていた主人はやっとの思いで身体を起こしたマシューを一蹴すると、懐からルーペを取り出して指輪をじっくりと眺めた。主人が指先の角度を変える度に頼りない月光を受けてキラリと闇夜を照らす輝きに、主人は感嘆の声を上げた。
「お前、こんなもの一体どこで…ラビエル王国の極一部の鉱山でしか採れない希少な鉱石だぞ…それもこんな繊細な細工の…」
指輪の鑑定をする主人は、マシューに問いかけているようで一人でブツブツ呟いているだけだ。マシューは痛む身体に鞭を打って指輪を取り返そうと手を伸ばす。
あれだけは、愚かな恋心の想い出と戒めとして手元に置いておきたかったから。
「あるじさま、返して…返してください…!」
切実な願いに対する主人の返答は、無情なものだった。
「でかしたな、マシュー。」
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