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第19話

マシューが呆気にとられながらも簡単かつ的確な手当てを受けたのを見届けた青年は、己を凝視するマシューに困ったように微笑んで見せ、懐からサングラスを取り出した。 そんなものかけなくても本当はわかっている。彼がリチャードであることくらい。 心の底から申し訳なさそうに彼はマシューに頭を下げた。 「嘘をついてすまない…本当は、リヒャルトというんだ。」 リヒャルトといえば、世界最大の領土と国民を抱える軍事国家の王子だ。 他国の王子だというのに、その有能ぶりはこのサスキア王国の民にも広く知れ渡り人々が度々話題にする。人々の噂話が知識の全てであるマシューも当然知っている名前だ。 あまりのことに身動きが取れないマシューをどう思ったのか、リヒャルトはまた困ったように少し笑って頬をかき、くるりと振り返ってマシューに背を向けた。 スッと伸びた背筋、凛とした後姿は、正しく王族の風格を持ち合わせていた。 「三月(みつき)…いや、三月もあったら死人が山程出るな。一月(ひとつき)で、奴隷たちの生活保障制度と教育制度を整えてください。自分で考え生きる術を身につけさせるのです。誰かに言われるまま馬車馬のように働かされるのではなくね。奴隷商人には仕事の斡旋を。…そうですね、我が国でも受け入れられるように手配しましょう。5年もの間奴隷たちを養い商売を続けた手腕は見事です。牢に入れるには惜しい。それから!」 リヒャルトはそこで初めて声を大きくした。 皆の視線が集まる。リヒャルトはそれを確認するように辺りを見回し、そして再び口を開いた。 「何より大切なのは、奴隷や奴隷商人への偏見を一刻も早くなくすこと。」 リヒャルトの声は決して大きくはなかった。 しかしその(たっと)い声は、このメインストリートにいる全ての者たちに届いただろう。その証拠に、どこからともなく拍手が沸き起こった。一人、二人、やがてそれは割れんばかりに。項垂れる自国の王子を他所に、他国の王子に歓声が上がる。 リヒャルトはマシューの目の前にいるのに、その背中は遠い遠い雲の上にいるように感じた。 「さて、ゲオルグ。夜が明けたら帰ろうか。兄上にお伝えしなければね。」 「御意に。」 「ああ、やっと慣れた布団で眠れる!疲れたなぁほんと。」 喝采の中晴れやかな声を上げたリヒャルトは、グーっと伸びをしてから呆然と指輪を握りしめるマシューの主人に歩み寄った。にこりと微笑んだリヒャルトは声を荒げることなく、しかし静かな怒りをたたえ主人に向き合う。 不思議なことに、その瞬間場が静まり返った。

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