12 / 89

第12話 若頭は紅ショウガを大盛にする(4)

 その場から離れようとした時、『坊ちゃん』がボソリと呟く。 「なんだって藤崎はこんな店に通ってるんだか」  藤崎……オッサンの名前に、思わず足が止まる。まさか『坊ちゃん』はオッサンの知り合いなのだろうか。背後に立ってる二人の様子を考えると、同じ業界の人の可能性は高いだろう。 「可愛い女がいるわけでもないし、ただの普通の牛丼だろう」    ぶつぶつと言葉が続くが、ここで俺は振り向いちゃいかん、と思った。だって、余計なトラブルに巻き込まれる予感がビンビンくるもの。俺はそのまま厨房に入ろうとするが、その途中で、和田くんがまた固まってる姿が目に入る。 「和田くん」  俺は注意するつもりで小さく声をかけたんだけど、肝心の和田くんは目を真ん丸にして、『坊ちゃん』を見ている。 「和田くん、拭き終わったんなら、中入って……」 「マサくん、あれ、見て」 「こら、指さすな」  できるだけ声を抑えて注意したけど、和田くんは言うことを聞かず、むしろ、必死なくらいに視線を何度も向けて『見ろ、見ろ』と促してくる。下手に関わりたくないのに、と、うんざりした顔で、チロリと後ろを振り向いた。  ……なんと『坊ちゃん』。トッピング用に置いてある紅ショウガのケースを空にする勢いで、牛丼の上に山盛りにしている。いや、きっと、もう空になってるに違いない。 「……坊ちゃん、盛り過ぎです」 「あぁ?」  黒服サングラスがぼそりと注意すると、『坊ちゃん』のほうは不機嫌そうな声で黒服の方へと目を向ける。イケメンが一気に悪そうな顔になる。その様子に、やっぱりオッサンと同業者なのかも、と感じてしまう。あんなにイケメンなのに。 「若頭ぁ、せっかくの牛丼が紅ショウガ丼になりますよぉ」 「いいだろ、俺が好きなんだからよ」  思いのほか呑気な声を出したのがデブのスキンヘッド。それに答える『坊ちゃん』の声は、どこか拗ねたよう。俺にしてみたら、牛丼の違和感どころじゃないですよ、と、思わず、ツッコミたくなる。しないけど。 「くそっ。せっかく藤崎の弱み、見つけたと思ったのによ」 「坊ちゃん」 「あいつの澄ました顔が、無様に崩れるところ、お前らだって見たいだろ」 「まぁ……見てみたいといえば、見てみたいですけどぉ」  三人の話し声は、けして大きくはないけれど、俺の耳には入ってくるわけで。話の内容から、あのオッサンのことを脅すネタでも探しにきた、ということだろうか。スキンヘッドデブは『坊ちゃん』を『若頭』って呼んでたし、やっぱり『坊ちゃん』たちも、あの業界の人なんだろうか。  これ以上話しかけられたらヤバイと思った俺は、さっさと厨房の中へ逃げ込んだのは言うまでもない。

ともだちにシェアしよう!