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第15話 閑話:オッサン、牛丼屋に通い始める(3)

 親父が大きく息を吐く。 「まぁ、なんだ……世話になったな」 「お、オヤジさん……」  まるで自分の親のように縋る圭太に、俺の方は毒気を抜かれる。この年になってしまえば、圭太のように感情を露わにするのも憚られるが、俺もそれなりに心配はしていた。職業柄、誰かに刺されるなどということもあっても、おかしくなかった。まだ、盲腸でよかったかもしれない。 「剣も悪いな……仕事中だったろうが」 「ああ……すぐに戻る」 「そうしろ……ああ、悪いが圭太、何か飲み物でも買ってきてくれねぇか。喉が渇いた」 「は、はいっ」  親父の言葉に、圭太は嬉しそうに立ち上がると、さっさと病室を出ていく。 「なんだ。圭太がいるとまずい話か」 「……まぁな」  親父は一瞬、言葉を続けることに躊躇したのか、目を閉じる。再び目を開いた時、その目には、何やら真剣な意思がこもっていた。 「……剣、悪いが、俺の仕事、引き継いではくれめぇか」 「親父の仕事?」  親父は、組の仕事からは足を洗っていた。むしろ、組長の個人的な仕事に関わることが多くなっていた。 「……牛丼屋に通って欲しいんだ」  予想外の言葉に、俺は一瞬、言葉を失う。牛丼屋、とは、いわゆる牛丼を食う店のことだろう。それはわかる。しかし、それがどんな仕事だっていうんだろうか。厄介なことに巻き込まれたんではないか、と俺は眉間に皺をよせる。 「実はな」  親父が言葉を続けようとした時、パタパタと廊下をかけてくる足音が聞こえてきた。病院の廊下を走るようなのは圭太しか思いつかない。 「ったく、早えんだよ……仕方ねぇ、詳しい話は明日する。お前、一人で来い」 「わかった」  俺は「もう帰るんですか」と声をかけてきた圭太とは入れ違いに、病室を出た。  病院から急いでクラブに戻ってみると、すでに若頭たちは店を出た後だった。店の中は、かなり賑わっていたので、そのまま店から出ようとした。 「藤崎さん」  ママが嫣然と笑みを浮かべながら、静々と俺のに近寄ってくる。何事かとと思い立ち止まると、ママがスッと差し出したのは、この店の請求書。 「若頭が藤崎さんに渡せと」 「はぁ?」  金額を見ると、桁がおかしい。こんなの、俺が払えるわけもない。あの短時間でどれだけの酒を飲んだというのだ、と愕然としていると、ママがクスクスと笑いだす。 「冗談ですよ。若頭からはちゃんとお支払いいただいてますから。藤崎さんが、いつの間にか、席を外されてたので、お仕置きですって」 「……質の悪い冗談だな……こんなのに付き合わせて悪かったな、ママ」  俺はうんざりした顔でそう答えると、ママは笑みを浮かべたまま、俺のそばに近寄ってくる。彼女の纏うスッキリとした甘さのある香水の匂いが鼻をくすぐる。 「いえいえ……藤崎さんのそんな顔、初めて見させていただきましたから。今度は、藤崎さん、お一人で来てくださいな」  思わせぶりなママに、俺は笑みを返すでもなく「機会があれば」とだけ答えると、そのまま店を出た。

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