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第16話 閑話:オッサン、牛丼屋に通い始める(4)
次の日、病室に行くと、圭太の姿はなく、親父が一人ベッドで眠っていた。カーテンの隙間から日差しが差し込んでいる。昨夜に比べると、だいぶ顔色はマシになっているようだった。
俺はパイプ椅子に座ると、ジッと親父の顔を見つめる。
妹の万葉にはメールだけ投げておいたが、返事は来なかった。もともと、親父や俺のようなヤクザ稼業を毛嫌いしていた万葉は、大学を出てすぐに日本からすら出て行ってしまった。今ではオーストラリアで現地の男と子供二人、悠々自適に暮らしている。俺にしてみれば、こんな稼業に関わらずに幸せに暮らしてくれていればそれでいいと思っている。それは、親父にしてもそうだと思う。
「……んっ? ああ、剣か」
親父が目を覚ました。
「圭太は?」
「ああ、家の片づけをしたら午後からくるとか言ってたな」
今では親父の家で居候している圭太。俺はすでに別のマンションで一人暮らしをしているだけに、今回のことも含め、あんな圭太ではあるが、親父のことに関しては感謝しかない。
ベッドに横たわっていた親父が、手首につけていた鍵らしき物を差し出した。
「そこのキャビネットから財布取ってくれ」
脇に置かれているキャビネットの引き出しの鍵だったらしい。俺は鍵をあけると、使い古された薄っぺらい財布を取り出し、親父に渡す。親父は、その財布から一枚の写真を取り出した。その写真に写っているのは、高校の卒業式なのだろうか。高校の名前が彫られた校門の前に立ち、卒業証書の入った筒を抱えて満面の笑みを浮かべた一人の少年が写っていた。
「……まさか、親父の息子?」
「んなわけあるかぁ」
ムッとした顔で、文句を言う親父。まぁ、確かに、親父とは似ても似つかない。茶髪の短髪に、瞳も薄い茶色に、大きな二重。濃紺のブレザーにえんじ色のネクタイを締めた、高校三年にしては、少し幼い雰囲気を持っている少年だった。
内心、可愛い、と思ってしまった。
この年齢の男に、可愛いと言ったら怒りそうだが、そう表現したくなるような少年だった。
「……そいつが、牛丼屋でバイトしててな……様子を見ててやって欲しいんだわ」
「まさか、組長の……?」
親父の仕事を考えれば、すぐにそういう考えが頭に浮かんでもおかしくはない。
「違う。だが、組長が大事にしてる人の息子さんだ」
「愛人?」
「そういうんじゃない。今は大学二年生でな。うちのシマの外れにある牛丼屋にいるんだわ。夜間のバイトが多いみたいでな。何かあっちゃまずいってんで、俺が通ってたんだが」
こんなんじゃなぁ、と情けない表情を浮かべる。
「だから、お前、行ってくれないか」
「なんで俺。圭太でもいいだろうに」
「組長からは許可貰ってる」
「……決定事項ってやつですか」
俺は大きくため息をつく。まさか、子守りをすることになるとは。
「頼むわ」
親父にしては珍しい弱々しい声に、俺は断ることが出来なかった。
こうして俺は、高橋政人がいる牛丼屋に通い始めることになった。
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