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第32話 閑話:脂ぎったおっさんは意外に純情だった(1)

 芦原組の組事務所の中では、ドサッ、グホッ、ガァッ、と激しい暴力の音と呻き声が響いている。 「てめぇら、何してくれちゃってるのっ」  冷淡な声が、身体をいたぶる音の合間に聞こえてくる。脂ぎったおっさん、もとい、芦原は怒りで顔を真っ赤にしながら、すでにボロボロになっているチンピラを蹴り続けている。事務所内には他の部下たちもいたが、こうなった時の芦原を抑えつけられる者はいない。 「少しずつでもっ、高橋さんとお近づきになりたいとっ、思ってたのにねぇっ!」  最後の一蹴りが入った時には、チンピラたちの周囲は真っ赤に血塗られ、顔の原型はとどめていなかった。  芦原は荒い息を吐きながら、汚い物を見るかのような視線を、青ざめて立ち尽くしている部下たちへと目を向けた。  事の発端は、ケーキを持っていった惣菜屋の帰りの途中、部下の一人が漏れ聞こえた言葉を不審に思ったことからだった。『みわ子』『政人』と互いの名前を呼び合うのを聞き、もしや、若い恋人がいるのではないか、と、万が一にもと、部下がチンピラを使って調べさせた。それがまさか、武原組が関わってくるような話にまで発展するとは思いもしなかった。 「なんだって、息子ちゃんに手を出すかなぁっ!」  調べさせた部下の腹に、芦原の拳が入る。グホッ、と呻いて崩れ落ちる部下を冷ややかな眼差しで見下ろす芦原。脂ぎってはいるものの、さすが組長という貫禄に、他の部下たちも身じろぎもできない。  芦原は、ギリギリと歯を食いしばりながら、武原からかかってきた電話での忌々しい会話を思い出す。 『ああ、芦原さん、久しぶり』  その声には、すでに怒りの片鱗が滲み出ていたのに、芦原は疑問を抱いた。元々、芦原組と武原組は先代の組長同士は、いつか互いの子供を結婚させよう、と口約束をする程度に仲がよかった。  武原組の一人娘、華子は、美しく傲慢に育ち、芦原はその姿に憧れをもって眺めていた。そして、いつか自分の嫁になるのだと夢見ていた。  しかし、実際には、武原組は婿養子をとり、芦原も後々に嫁をとることになる。華子が、自分よりも年下ではあったが、当時から実力も容姿も抜きんでていた今の武原組長、武原政二を選んだからだ。それは、当時の芦原のプライドを大いに傷つけた。まだ先代たちがいたからこそ、大きな争いには至らなかった。そして、今は互いに昔のこと、と言えるくらいにはっていた。 「ああ、武原さん、どうしました」  だから、芦原は暢気にそう答えられたのだ。 『あんたの所の若いのが、うちのシマでおイタが過ぎたようでね』 「……うちの者が何を」 『うちの藤崎に喧嘩を売ってきたようで。警察にしょっ引かれたようですけど、そのうち、そっちにも連絡が行くかと』 「なんですって?」  何も知らない芦原は甲高い声で驚きを露わにした。

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