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第43話 閑話:オッサンが落ちるのは恋か、罠か(5)
しかし、先代は俺の言葉を、まともに聞いていない。
「旦那の方がな、実刑で十年以上戻ってこれそうにないんだ……あれのせいで散々苦労してきただけに、これからのことを考えると、不憫でな。それで、お前のことを思い出した。お前は、まだこれが忘れられないんじゃないか。だから独身を貫いて……」
「謹んでお断りします」
速攻で断りをいれる。そもそも、この女が望んで俺と別れたのだ。
今までにも付き合ってきた女はいくらでもいた。単に、人生を共に送ろうと思えるような女がいなかっただけの話。いまだに独身なのは、そんな美談なんかじゃない。
そこでなぜか突然、俺の脳裏に政人の笑顔がよぎった。最近は、牛丼屋でポツポツと話をするようになって、接客とは違う優しい笑顔を見せるようになっていた。そのたびに、胸の中がじんわりと温かい気持ちになったことを思い出す。
――この場で思い出すのが過去の女たちではなく、政人のことだったことに愕然とする。
その困惑を吐き出すように大きくため息をつくと、それだけのことで、元妻と娘がビクッと身体を震わす。
「だがなぁ」
「先代っ……」
あんな風にびくつく相手に、再婚話など無理だと思う話なのに、あまりにも暢気な言い方になる先代。どんなロマンスを妄想してるんだ、と声を荒げて反論しようとした時、マナーモードにしていた俺の携帯が震えだした。
俺は先代の話をぶった切るように、携帯を取り出す。表示は『沢田』。今日は若頭と行動をともにしていたはずだった。
「すみません。ちょっと失礼します」
三人の様子を気にかけずに、部屋からベランダに出ると、眼下には雨に霞みながらも煌びやかな夜景が広がっている。
「どうした」
『あ、藤崎さん~?』
沢田の暢気な声の背後からは、微かなBGMとともに人々の騒めきが聞こえてくる。どこかの飲み屋か何かか。
『あのー、今、坊ちゃんと一緒なんですけどぉ』
「知ってる。何かあったのか」
『マサトとかいうガキんちょとも一緒なんすよぉ』
「っ!?」
予想外のことに思わず、頭が真っ白になる。なぜ、若頭が政人と一緒なのか。組長との関りがバレたのか。
「沢田っ、場所はどこだっ!」
声のボリュームを抑えた叱責に、沢田はなぜか楽しそうに笑いだす。
『やっぱ、あいつが藤崎さんの弱みですか~。やったねぇ~』
「おいっ、真面目に答えろっ!」
沢田はへらへらしながら、前に若頭に連れていかれたキャバクラの名前を告げた。あそこのママもどこかくえない女だったことを思い出す。
『早くしないとぉ、坊ちゃんに食われちゃうかもぉ?』
「なにっ!?」
『お待ちしてま~すっ』
「おいっ」
通話は勝手に切られ、俺は手元の携帯を握りしめる。若頭とともにいる政人の姿が、頭をよぎる。素直で騙されやすそうな政人の顔が、若頭によって歪められてしまう。そう思っただけで、頭に血が上る。
「おい、藤崎、どうした」
「すみません、緊急の用事ができましたんで、失礼します」
「お、おい」
ベランダからそのままドアへ向かった俺の背後から、先代の慌てた声が聞こえた気がしたが、そんなものは無視だ。まだ会場に残っている組長に声をかける余裕などなく、俺はホテルからすぐさまタクシーに乗り込み、キャバクラのある繁華街に向かわせる。
雨足は徐々に強くなっていく。俺は滲んだガラス越しに、泣きそうな政人の顔を思い浮かべて、睨みつけることしか出来なかった。
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