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第55話 お嬢の我儘と貞操の危機(5)

 ズンズン……ズズンッ  身体の奥に響く低周波が響く。その音の合間に、誰かが大きな声で話しているのが聞こえてきて、俺は意識が浮かび上がってくる。 「んん……っ?」  煌々とした蛍光灯の光が薄っすらと開けた目に差し込む。俺は後ろ手に何かに縛られて、床に転がされているみたいだ。 「だからぁ」 「みゆちゃん、約束したじゃん」 「もうっ、ちゃんと、別れさせてからっていったでしょぉっ」  少し幼い感じの女の子の声と、ごそごそと聞こえる衣擦れの音に、俺は顔を上げるが、テーブルに遮られているせいか、自分たちのことに夢中になっている奴らは気づいていない。  俺は目を眇めながら周囲を見渡す。空間の狭い感じに、牛丼屋の事務所の感じに似てると思った。ただ違うのは、この部屋の空気は煙草とアルコールの匂いが充満してる。ずっと激しいドラムやベースの低音がズンズンと聞こえる。ここはライブハウスの事務所か何かなんだろうか。  「めんどくせぇなぁ」 「そんなこと言わないの」  身体を起こした男が振り向いた瞬間、俺と目があった。薄くて細い眉に、細めの三白眼の見るからに悪そうな顔つきに、俺の身体は固まる。 「ああ、目ぇ覚ましたか」  ニヤリと嗤った男の背後に、先程の声の主と思われる女の子が顔を出した。その顔にどこか見覚えがあるとは思ったら、バイト帰りに声をかけてきた女の子だった。  その女の子が、なんでだか見下した眼差しで俺を見るものだから、その冷ややかさに身体がビクッと震える。 「……なんで、こんなのがいいのかな」 「俺はみゆちゃんのほうがいいけどな」 「もう、嫌だってば」  三白眼がみゆと呼ばれた女の子の頬にキスをしようとして、顔を押し返されてる。完全に尻に敷かれてるのが目に見える。 「な、なんなんですか」  この状況に出てくる声なんて、震えて情けない声にしかならない。  そんな俺の目の前に、みゆはしゃがみ込んで俺の顔を覗き込む。 「あのさ、あんた、藤崎のおじさんと別れて」 「……は?」  俺はポカンと口を開ける。彼女が言ってる『藤崎のおじさん』というのはおっさんのことなんだろう。だけど、なんだって『別れて』と言われるのか、理解できなかった。 「うちのママとの再婚の話があるのに、あんたがいるからまとまらないんじゃない」 「へ?」  おっさんが再婚?そんな話を聞いたこともないし、ましてや、俺のせいとか、わけがわからない。 「藤崎のおじさんと、うちのママは元々結婚してたの。だけど、うちのパパが略奪しちゃったせいで別れることになったのよ。もう、ママだって藤崎のおじさんのほうがよかったって、ずっと言ってたわ」  まさか、おっさんがバツイチとかだったとか思いもしなかった。 「だから、別れて?」 「いや、別れてとか言われても」 「だって、あんた、おじさんの『オンナ』なんでしょ」  かわいい顔した女の子の口から蔑んだ声が、落とされる。 「違うしっ!」 「違くないだろ。牛丼屋で散々『オンナ』扱いされて、駅まで見送りとか。あの『武原組の藤崎』に姫扱いまでされて。嘘ついてんじゃねぇよ」  俺が否定の言葉を叫んでも、みゆの背後に立ち冷ややかに見下ろしてくる三白眼。そのセリフに、日ごろの自分とおっさんの様子を見られてたことに気付いて、驚きで目を剥く。

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