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第70話 俺と母親の幸せの形(10)

 俺は助手席で、ひたすらドキドキしっぱなしだった。  車内には微かに残る煙草の匂いと、ムーディーなBGM。大人な雰囲気にのまれてる俺。おっさんも何も話しかけてこない。そもそも、俺のほうからだって、何を話しかけたらいいのかもわからない。  チラッと隣に座るおっさんを盗み見る。俺のことを見るでもなく、鋭い眼差しは前しか向いていない。その横顔に見惚れそうになって、慌てて視線をはずす。  何か話さなくちゃ、と、ぐるぐると考えているうちに、気が付いたら、見慣れた街並みが目に入ってきた。  俺、アパートの場所、教えたっけ? 若頭たちからでも聞いたんだろうか?   結局、俺たちは一言もしゃべることなく、そして当然、おっさんは俺のナビなしに、古ぼけたアパートの前まで送ってくれた。 「あ、あの、ありがとうございました」  薄暗い街灯の下、助手席のドアを開けたまま頭を下げて、そう挨拶する。おっさんはニヤリと笑って、煙草を取り出し、口に咥えた。そこで、俺が乗っている間、煙草を我慢してくれてたことに気付く。  大人だなぁ……。  煙草に火をつけるライターの灯りに照らされるおっさんの顔。その様子に目が離せなくなる。 「ほら、さっさと部屋に入れ」  おっさんの優しく促す声で、ハッとする。  車の中で煙草を咥えたおっさんがジッと俺を見つめてる。俺が車から離れるのを待ってるのか、その顔はいつもみたいに無表情なんかじゃなくて、とっても優しい目をしてる。 「お、おやすみなさい」 「おお」  慌ててドアを閉めても、しばらく車は動かず、おっさんは車の窓越しに俺を見つめてる。その目力に視線を外すことも出来ない。まるで魂でも吸い込まれたかのように、俺は足を動かせない。  ……マジでヤバイ。  ……俺、この人のこと、好きかもしんない。  ドキドキと胸の激しい鼓動とともに、こんな自分の気持ちを自覚する。  その瞬間、おっさんがフッと小さく笑みをこぼし、視線をはずすと、ゆっくりと車が動きだした。表の通りに出るT字路で、赤いテールランプが点滅する。  ――そういえば、『ヤ』のつく職業な上に、怖そうなおっさんのみかけとは違って、安全運転だったなぁ、と思い返した。  車が曲がって姿が見えなくなって、ようやく肩の力が抜ける。立ち尽くしてた俺は、両手で顔を隠しながらしゃがみ込んだ。顔が熱い。絶対真っ赤になってる。 「はぁ……」  思わず吐いた大きな溜息は、人の姿もない夜の静寂に妙に響いた。

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