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第4話 二人の"友達"

 ランチタイムが終わってから喫湯店の裏で毎日のように行われる逢引は、シルヴィオにとって貴重な息抜きの時間になっていた。今までずっと自室で一人篭りきりだったから、対大勢ではなく一対一でゆっくりと会話ができる店の裏という空間も、どんな話でも穏やかに聞いてくれるドナのことも気に入り始めていた。  正直、すぐに飽きられると思っていた。  ドナのことは時折窓の外から聞こえる噂話で知ってはいた。町中のオメガを喰い荒らす犬っころだの好き勝手に呼ばれていた彼はどんな軟派野郎なんだと興味こそあった。まさか知り合いに、よもや恋人になるなんて聞いた当時は思ってもいなかったが。  運命の番いを強く欲しているから、新しいオメガを見つけたらどうせすぐに別れを切り出される。だからこそ告白を受けたのだ。断って怒るようなタイプには見えなかったが、絶対に逆上しないとは言い切れない。次の止まり木が見つかるまでの期間限定なら、受け入れていた方が無難だろうと。  だが、近頃ドナと共にいることが本当に楽しくなってきている。ふわふわの毛並みに柔らかい肉球に、なんともいえない穏やかな雰囲気。自分に向ける優しい眼差しも厭なものはまったく感じない。必要以上に触れても来ないし、嫌だと言えばすぐにやめてくれる。  アルファなんて、自分勝手な傲慢野郎ばかりと思っていたのに。  シルヴィオはアルファが苦手だった。否、嫌いだった。ドナにそれを言うことはなかったが、その原因となるアルファと自分は全く別の生き物のよう。だから、ドナだけは別。  社交辞令でなく人目のない外で会おうと思えたのは、ドナがキラキラとした瞳をしていたからだ。初対面だのにその天真爛漫さに、惹かれていないと言えば嘘になるほどに興味が出た。  今日もまた、ドナは無理に触れることもせず隣に座っていた。好きなものだとか、苦手なものだとかの話ばかりで最初の頃のように第三の性の話は一言も口にしない。  自分はベータなのにオメガと何度も言われることは嫌だったが、それもなくなればただの気のいい友人レベル。恋人らしさなんて微塵も感じないが、シルヴィオとしてはその方が有難かった。  恋人じゃなくなれば、ドナは離れるのだろうか。今こんなにべったりなのはシルヴィオが恋人だから。別れれば会話すらできなくなってしまうかもしれない。  それは、少し嫌だ。シルヴィオはドナの白い毛並みをそっと撫でた。 「また肉球触りたい?」 「違う。……あんたは、友達とかいるのか」 「友達かー。うーん……、もういないかなぁ」 「前はいたのか?」 「学校通ってた頃にはね。でも、俺放校になってるからもう誰も連絡とってこないんだ」  明るい茶色の目は普段と変わらず、地面を見つめている。かつての友のことを思い出しているのか、何処か懐かしむような表情だ。 「皆プライド高いのばっかりだったから、俺とは知り合いだと思われたくないんじゃないかな。俺も連絡とろうとは思わないんだけどさ。この町で暮らし始めて、あの学校のこと苦手になっちゃったし」 「何処に通っていたんだ?」 「なーいしょ。シルヴィオも教えたくないことあるだろ?」 「まあ、多少は」  何故学校を辞めてからずっと家にいたのか。それだけは誰であろうと教えたくない。父母にすら言えないことだ、まだ出会ってひと月も経っていないドナには余計。  シルヴィオは、ドナが別の話題を探す前にと続ける。 「じゃあ、これまで付き合ってきたオメガとは仲はいいのか」 「別れようって言ったら皆怒っちゃうから、それもないなぁ。俺はオメガだから付き合ったんじゃない。運命の番いを探したいだけだから違う相手とは別れるに決まってるのに。仲良くしたくてもあっちがしたくないんだって」  ドナとしては仲良くしたい。つまり、別れてもまだ仲良くしてくれる。今のように二人きりでこうして会話はできなくとも、まだ。  その安堵から、シルヴィオはドナの袖を捲ったふかふかの腕に顔を埋めた。 「し、シルヴィオ!?」 「俺が運命じゃなくても、こうやって話してくれるか?」 「……シルヴィオが、俺のこと嫌いにならなければね。っていうか、シルヴィオは絶対に運命だもん。ずっとこうして話してたいな」  自分はベータなのに、ドナはずっとこうして信じてくれている。  新しいオメガも、本当の運命の番いも見つからなければいいのに。ドナのことはただの友としての好意しか持っていないのに、そんなことを考えてしまう。  罪悪感に苛まれながらも、シルヴィオの毛並みを指先で梳く。シルヴィオが何を考えているのかも知らないのに、ドナはそっと逆の腕でシルヴィオを抱きしめた。  初めて獣人に抱きしめられ、ただ柔らかさと温かさしかわからない。それでも人間とは明らかに違うその感触と、それ以上はしようとしないドナの優しさ。シルヴィオは黙ってそれを受け入れた。  もしドナの運命の番いが見つかっても、いい友達でいたい。  そろそろ夜の仕込みの時間だ。名残惜しそうにくうんと鼻を鳴らすドナと別れ、シルヴィオは食堂に戻る。獣人とはいえ犬らしい可愛げのある態度に笑ってしまいそうになる。  裏の勝手口から入りエプロンをつけ、仕込みを始めていいかと店内を覗き込めば、父母は誰かと会話をしていた。  金色の髪に黒い瞳。豪奢ななりをした男だ。  その瞳が、ゆっくりとシルヴィオに向かう。 「シル、戻ってたのか」 「シルヴィオ、学校にお友達がいたなんて一言も話してくれなかったからびっくりしたよ」 「仕込みは父さんがやっておくから、外で話しておいで」  誰も、シルヴィオの表情が凍っていることになど気が付かない。勝手口から追い出されるように男と二人、また追い出される。  ドナの時と違うのは、シルヴィオが彼に対して好意など露ほども持ち合わせていないこと。  追い出されたシルヴィオはすぐに店に戻ろうと踵を返したが、それは男に止められた。 「親父さん達のご厚意だし、少し歩こう」 「……俺はお前と話すことは何もないから」 「俺にはある。来いよ」  嗚呼、これだから嫌なんだ。  傲慢で、横暴で、人が拒否したって無理に強要してくる。  腕を強く引かれ、振り払うこともできずシルヴィオは引きずられるように町外れへと連れ出される。  これと昔友人だったなんて信じたくもない。 「さて、ここらでいいか。シル、久し振り。俺の家で雇ってやるって言ったのに連絡もなしに消えたから、探すのに少し手間取ったよ」 「全部お前の所為だろ。それに、お前に雇われるなんて反吐が出る」 「たった一年で、随分可愛げがなくなったみたいだ。前みたいにヴィンツって呼べよ」 「……お前が全部壊したんだよ」  俺はアルファだから幸せにしてやれる、そんなことを言い出してあんなことまでしたくせに何が前みたいにだ。  この男が、シルヴィオが家に閉じこもり一年も外に出なくなった理由。アルファが嫌いになった理由。  ギムナジウムを卒業した日、寮の同室だったベータのシルヴィオの純潔を奪った男だ。

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