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第5話 最後の日
――卒業なんてしたくなかった。
小さい窓から外を見上げ、閉じ込められてるみたいだと言ったのと同じ口でその頃とは真逆のことを言葉にする。
シルヴィオはギムナジウムの最上級生だった。
実家からは少し離れた都市部に近い全寮制のその学校は9割がベータ。残りの1割がアルファというごく一般的な教育機関。
毎年数人はオメガも入学してくるが、一年が終わる頃には何故か全員いなくなっている。それを誰も疑問視せず、誰と誰が番いになったなんて話もなく。
第三の性に振り回されて、アルファとオメガは大変だ。何年も暮らしているが、そのくらいしかシルヴィオは思っていなかった。入学した検査の時にもベータと言われたからアルファともそれなりに友好的にできているからこそだ。
それ以外ではとても良い学校だ。教師も善良な者が多く、将来のためになるかは別として勉学にも力を入れられている。友人もそれなりにいる。全寮制だからこそ衣食住の心配もなく、だからこそこの安寧がもう終わってしまうことがひどく残念だった。
今日が、シルヴィオにとって学生最後の日。卒業式だった。
「シル、荷造り終わった?」
「同じ部屋なんだから終わってないのは知ってるだろ」
放課後、寮に戻る前に最後だからと学校を一人で歩いていたシルヴィオに背後から声をかけられる。シルヴィオは唇を尖らせ振り返った。
そこにはシルヴィオの寮の同室で、親友のヴィンツェンツィオが。
「ヴィンツだってまだだったろ、寮にはあと一週間いていいって言われたし、ゆっくり準備したっていいはずだ」
「毎回同じようなこと言って、長期休みの時も結局家に帰れなくなってたじゃないか」
「今回は流石にないから」
もう卒業で、二度と戻ってこない。一時的な帰省とは違うからこれまでのように片付けも荷造りもせず帰らなくなるなんてこともない。
今日はまだ準備したくない。なんだかんだで学校生活はとても楽しかった。小さな箱庭に閉じ込められてはいたが、箱庭だからこそ安全で、何も知らない子供のままでいられた。楽しいことばかりだったからまだ出て行きたくない。
歩き出したシルヴィオの後ろをヴィンツは黙ってついてくる。校舎に、講堂に、教会。12歳で入学してから6年間、ずっとこの学び舎で過ごしてきた。思い出をなぞるように、目に焼き付けるようにゆっくりと敷地内を周った。
「シル、そろそろ帰ろう」
もう夕暮れ過ぎ、惜しむように図書館で書架を眺めていたシルヴィオは、すぐ背後に立っていたヴィンツに気付かなかった。耳元で囁かれるように名を呼ばれ、びくりと肩を振るわせるとその様が面白かったのかヴィンツはけたけたと笑いだした。
「ほんと、ビビリだな」
「うるさいな、突然話しかける方が悪いだろ」
夢中になっていた自分のことは棚に上げ、シルヴィオはヴィンツの所為だとなすりつける。わざと怒っているふりをして、帰ろうと誘ったヴィンツを置き去りに寮に帰るため歩を進めた。
子供っぽいその仕草も、多感な時期をずっと箱庭から出ることなく過ごしてきたからかもしれない。ここ数年は帰ることもなくいたから余計だ。この空間では、大人びているよりも子供じみた言動をしている方が教師からも愛される。無意識のうちに、シルヴィオはそれを身につけていた。
寮に戻り、数少なくなってしまった卒業生と固まって食事をとる。大半は卒業式が終わると同時に家族が迎えに来て帰ってしまった。残っているのは自分で帰る手配をしているか、まだ迎えに来る日が先か。シルヴィオは前者のため、先に荷造りを終わらせなければいけない。
ヴィンツと共に部屋に戻り、少しずつ本をまとめ衣服もトランクに詰めていく。入学した当初持ってきていたものは大方下級生にあげてしまったがまだまだ先は長い。
「シル、家に帰ってからのことは決まってんの?」
「実家の仕事手伝うか、何処かに働きに出ようとは思ってる」
「じゃあ俺の家に来ない?」
ヴィンツの家は確か貿易関係の仕事をしていると言っていた。会社に入るということだろうか。
まずは詳しい話を聞いてみなければわからない。シルヴィオは同じように荷造りを進めていたヴィンツの方を振り返る。
ヴィンツは、にっこりと笑いながらシルヴィオのことを見ていた。
「ヴィンツ?」
「俺さ、前からシルのこと気に入ってたんだよね」
「それはどうも?」
「卒業してもう会えなくなるのなんて嫌だから、一緒に来いよ。大丈夫、絶対に悪いようにはしないから」
こんなにも笑っているのに、表情が見えないのは初めてだ。得体の知れない恐怖を目の前の親友に感じ、シルヴィオは咄嗟に距離をとろうとベッドの上に逃げる。
「流石にベータ相手じゃ俺の好きにはできないから、卒業までずっと待ってたんだ。シルが嫌なことはしない。俺はアルファだから、幸せにしてやれるよ」
「ヴィンツ、変な冗談やめろよ」
「冗談でこんなこと言うかよ。一応使用人ってことにはするけど、働かなくていい。俺、昔からベータのこと飼ってみたかったんだ。それに、シルのことは大好きだからさ」
その手に持っているのはオメガ用の首輪。幾らベータには関係のないことだからとはいえ、アルファがそれを相手につける理由なんて知らないはずがない。
親友だったはずだ。友人でしかなかった。一度もそんなこと言われたこともなかったし、何よりこんな怖い人間、自分は知らない。
ベッドは壁際に置かれている。迫られてしまえば最後、逃げ場はなくなってしまう。アルファのヴィンツとは力にも歴然の差がある。力で振り払おうにも無理な話だ。声を上げようと口を開けば、口許は大きな掌で塞がれてしまう。
自分はベータで、男で、ヴィンツとはただの寮の同室で、親友だったはずなのに。
全てが、一瞬で壊れてしまった。
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