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第8話 吐露と、対面
落ち葉を箒で掃きながらシルヴィオが来るのを待っている姿はどう見ても忠犬そのもの。ドナは自分の淹れた湯を飲んでもらうのが楽しみで堪らない様子だ。
会うことを拒んだシルヴィオが何故店に来ると言ったのかその理由は思い至らないまま、だらしない笑みを浮かべつつ店の前にしゃがみ込む。
「同じ犬種なのに、領主様とはえらい違いだね」
遠くからの冷やかすような声も気にならない。領主と自分は違う生き物なのだから当たり前だ。そんなことよりもとシルヴィオを待つ。
喫湯店で働いてきて、初めて自分一人で湯を淹れさせてもらった時と同じくらいに嬉しい。早くシルヴィオに飲んでもらいたい。店内で新規の客に貶されたことも特に気にならない。見たこともないアルファだ、どうせもう二度と店には来ないから。
鼻歌まで零れ、揺れる尻尾で落ち葉が飛ぶ。白い毛並みに土の汚れがついていてもドナは気付かなかった。
遠くから声が聞こえた。ピンと立った耳は呟きであろうその声もしっかりと捉え、その方向に視線を向ける。
人混みの向こう側、黒い髪が少し揺れていた。
「全く、なんだって平日なのにこんなに人がいるんだ……」
愚痴を零すシルヴィオが近付いてくると、ドナはすぐに立ち上がる。箒を投げ捨て少し離れたそれに走り寄れば、シルヴィオの方も気が付いたようでぴたりと足を止めた。
「シルヴィオ!」
「もう少し声のトーンを落としてくれ」
「ご、ごめん。でもまた外で会えたから嬉しくて」
語尾にハートマークでもついてしまいそうな程甘ったるい声色を頭上から浴びせられ、シルヴィオは少し鬱陶しそうだ。それも気にせず、ドナはシルヴィオをエスコートするように隣に立ち、歩き始めた。
「あのね、ちゃんと窓際の席とっておいてもらったから。お客さんも帰り始めてるし、ゆっくり話もできると思う」
「人目があればどこでもいい」
「俺もしかしなくてもそこまで信用ないんだ?」
「……そういうことじゃないけど」
表情は相変わらず変わらないが、声色は少し柔らかい。先程怒らせてしまったのは席についてから謝ろう。ドナが投げ捨てた箒を拾い喫湯店の扉を開けようとしたところで、シルヴィオがあることに気付き話しかけてきた。
「ドナ、尻尾汚れてる」
「ええ、うそ?」
「本当。入口にブラシあっただろ」
扉を開け、入り口傍に吊り下げられているブラシを取ると何の躊躇いもなくドナの尻尾を軽く梳いてやる。優しいその手つきに、ドナは思わず硬直した。
シルヴィオからすれば髪の毛を梳いているような感覚なのかもしれないが、獣人からしてみれば尻尾なんて敏感な部位、他人に触られているだけで否応なしに反応してしまう。
ただ砂を落としてくれているだけなのに反応して、しかもそれが恋人相手なのを常連客にも見られている状態で恥ずかしい。ドナは大きい手で顔を覆った。
「ドナ、終わったぞ。……ドナ?」
「……シルヴィオのえっち…」
赤面していても白い毛皮だからこそ人間には伝わらない。それでも耳と尻尾の動きで全てが伝わる。シルヴィオもまさかそんなことを言われるとは思わず、赤面してしまった。
「何を言ってるんだ、馬鹿」
「人前で尻尾触られるなんてもう俺お婿に行けない……シルヴィオお嫁さんにするけど」
「俺はベータだ」
「……うん、そうだったね」
もう否定はしない。ドナはシルヴィオを窓際のテーブル席に案内し、キッチンに入ると沸かした湯の温度を肉球で確認する。
熱過ぎもなく、ぬるくも感じないほどの適温。少し時間が経ち過ぎていたとも思ったが丁度いいか。湯をポットに注ぎ、芳しいレモングラスをメインにしたハーブの香りに満足そうに頷く。トレーの上にポットとカップを置き、シルヴィオの前に運ぶとそのまま向かいの席に座った。
「仕事は?」
「全部終わったからシルヴィオとお話したいなって」
「……そう」
ポットから注がれた湯はほんのり黄色く色づいたハーブティーに似た類。味も悪くはないんだ、ドナはそう言いながらカップをシルヴィオの前に置く。
「あっ、そうだ。大丈夫だよ、毛とかは入らないようにちゃんとしっかり作ってるから」
「心配してない。……カモミールだ、好きな匂い」
「大正解。料理作ってるからわかるのかな?」
ローズ系統のものと迷ったが、もし苦手だったらと思い無難な方にしておいて正解だった。シルヴィオが黙って飲み干すのを眺める。
その時間すら尊いものに思えてしまう。ドナはシルヴィオが言葉を発するまで何も言わずににこにこと笑っていた。
「あんたのことは嫌いじゃない。ただ、人のことをオメガだと言い張ってるのは嫌い」
「ごめん。もう言わないよ」
「面倒なことに巻き込まれたくないし、俺はなるべく動きたくない」
「じゃあ、もう裏で会うのやめる?」
「そこまでは言ってない。……アルファのことは嫌いだけど、あんたのことはそうでもない。可愛げもあるし、近所の弟分のようなものだし」
「流石に酷くない?」
自分の方がよっつも年上なのに、子供だと馬鹿にされている気がする。
ドナが文句を言うも、シルヴィオの方は言葉のあやだと気にも留めていないようだ。
「っていうか、アルファ嫌いだったの?」
「嗚呼。でもあんたのことは嫌いじゃないから別に今は関係ないだろ。……俺がアルファを嫌いになった原因は、あんたが気にしてた友達だ。今は元がつくし、一切関わりたくないけど」
「そうなの?」
「傲慢で自分勝手で、大嫌いだ。アルファだから幸せにしてやれるだとか、ベータも飼ってみたかっただとか。だからもう二度と会いたくなかった。なのに一年以上経って、教えてもいなかったこの町に来て。暫く滞在するって言われて、外に出るのが怖くなった。ごめんな」
ドナの大きな手を指先で撫でながら、シルヴィオは鋭い視線でカウンター席の方を見やる。
こちらを見ていたあの新規客が、にっこりと笑いながら立ち上がった。
「黙って聞いていれば、ひどいじゃないか」
「どっちが。ドナ、隣がいい」
「……こいつが、シルヴィオに酷いことしたの?」
此処まで嫌うなんて、余程酷いことをされたのだろう。シルヴィオの隣に移動し、男が近付いてくるごとに身体が少し硬直し向かいの席に座った瞬間から微かに震えているのを感じ、腕を伸ばし庇うように視線から隠す。
そんな様子に、男――ヴィンツはシルヴィオに笑いかけた。
「こんな番犬飼ってたなんて知らなかった。別に犬が一匹増えるくらいなら気にしないよ」
「まだ言ってるのか。俺はお前の家には行かない」
「大丈夫、シルが早く慣れるように他にもベータを何人か拾ってきたんだ」
だから、大人しく飼われてよ。
町の住民憩いの場のはずの喫湯店だというのに、シルヴィオを巡り一触即発の雰囲気を漂わせる二人の所為でその雰囲気はまるで戦場のよう。
二人のアルファの高圧的な雰囲気は、その場にいたベータ達でさえ蛇に睨まれた蛙のように体を凍らせ、関係もないのに屈してしまいそうになるほどの圧力だった。
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