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第10話 帰る場所

 もう二度と戻るつもりのなかった実家。ドナは呼び鈴を鳴らし、誰かが出て来るのを門扉の前で待つ。  白亜の豪邸なんてよく言ったものだ。見てくれだけは豪華で綺麗な白が基調の屋敷。屋敷の主の自己顕示欲の現れのようだ。  重たい扉を開けた使用人は、ドナの姿を見るなり飛ぶように走ってきた。金属製の門を開き、すぐさま迎え入れる。 「ご連絡をくださればお迎えを出しましたのに」 「人を使わせるの嫌いだからいらない。客人は出かけてる?」 「ええ、今日も朝早くから」  何故客人のことを知っているかは問われない。屋敷の中に入り、広間に通そうとする使用人に玄関か客間でいいと拒否をした。自分はもうこの家の者じゃない。  ドナは、領主の息子だった。ただシルヴィオに嘘を吐いたわけじゃない。もう何年も前に家を飛び出して、家族の縁を断ち切ったから。もうこの家とは関係ないからだ。  客間に通され、家主が来るのを待つ。代替わりしたから兄が来るはずだが、今は忙しいだろうか。  出されたハーブティーを飲みながら暫く待っていると、扉が開きドナにそっくりな獣人が入ってきた。傍らに書類を持った様子で仕事中だったのだとわかる。 「何の用だ」  ドナの向かいに座ったその獣人は、視線を書類に落としながら声を発する。ドナもその様子に変わらないなと肩を落とし、本題を口にした。 「今此処に滞在している客人。あれ、人身売買の疑いがあるけど」 「……そうだとして、何故お前が知っている?」 「俺の大事な人がそいつに脅迫されてるから」 「調べておく。それにしても、見窄らしい格好だな」  ドナの服装は少しへたれた麻のシャツだ。普段と変わらないものだが、生活水準が違えば見窄らしくも見えるか。 「初めての給金で買ったんだ。普通の暮らしもいいものだったよ」 「俺からすれば、この家での生活が普通だがな」 「まあ、そりゃあそうだろうけど」  昔からそうだったが、兄の言葉の圧が強い。それでも嫌いになれないのは、兄が厳しいのは家族にだけで、他者に対しては優しく誠実だということを知っているから。  ドナは用件はそれだけだと立ち上がった。 「久々に庭見ていい?」 「いいが、……お前、此処に帰って来る時はどうなるか、忘れたわけじゃないだろうな」 「わかってるよ。でもいいんだ。大事な人はできたけど、俺以外にはベータに見えるみたいだし。番いになれなくたって、アルファに酷い目に遭うことがないってわかってれば」  シルヴィオのことは陰ながら見守ることができればそれだけで十分。  ヴィンツがシルヴィオのことをベータだと言った次の日、町で確認できた唯一の自分以外のアルファを呼び出し問うてみた。シルヴィオがオメガに見えるか。  結果は、ベータにしか見えないという答え。既に番いができている彼女には、運命の番いだからこそ弱い匂いにも敏感に反応するのかもしれないと言われた。  他のアルファからもベータにしか見えないのなら、シルヴィオにはベータとして生きてほしい。これまで散々振り回しておいて自分勝手にしか聞こえないだろうが、その方がシルヴィオのためになるような気がした。  ドナの言葉に、兄は小さく呟いた。 「運命の番い、見つけたのか」 「うん。でもあのアルファから守るためには戻るしかなかったから。オメガの匂いがかなり薄いみたいで、自分でもオメガだとは思ってない子。学生時代は多分本当にベータだったんだろうな」 「……父さんの言った通りになったな」 「うん、そうだね」  運命の番いを見つけることはできても、絶対に結ばれない。そう言った父の言葉通りになった。既に兄の母と結婚していたために、運命の番いだったドナの母とは籍を入れられなかった父の悲哀が篭った言葉。  当時は逆上したが、今となれば納得できる。どんな形であれ障害が生まれる。自分とシルヴィオ然り、兄と、何処かに消えてしまった兄のお気に入りだったオメガの使用人然り。  それでもいい。シルヴィオを守れたのだから。ドナはふっと笑った。  喫湯店も辞めてきた。部屋も引き払った。シルヴィオには内緒で、ただ自分が家に帰ってきただけ。  この家に戻った時は、兄の仕事を手伝うために遠くの港町へと移る。血の繋がらない母とした約束。ヴィンツからシルヴィオを守れるなら、それくらいどうってことない。

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