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SAIKI side 1
「クリスマスイブは家族とか親しい友人とか、とにかく少人数でおごそかに楽しむもんよ!」
閉店後のカフェで安堂 が大声をあげる。
ぼくが、今年のクリスマスイブはカフェの常連客を呼んで賑やかに過ごしたいと言った直後。
「えー。学生時代みたいな馬鹿騒ぎがしたいのに。」
安堂の目がひらっと閃く。ヤな予感。
「じゃあ多数決で決めましょうよ!冷水 はアタシに賛成してくれるわよね?常連客のためにわざわざパーティ料理用意したり片付けしたり、ずっと裏方仕事ばっかりして、しかもどうせアンタは姿を見せないんでしょう!?クリスマスイブなのにそんなのイヤじゃない!アタシだって冷水ちゃんに、イブの夜くらいゆっくりさせたげたいもの。」
嘘ばっかり。
本当は冷水の作ったクリスマスディナーを独り占めしたいだけなのだ。安堂って、そういうやつ。
冷水はきっと、少人数だろうが大人数だろうが手は抜かない。つまり冷水は、イブの日だろうがなんだろうが、ゆっくりなんかはしないのだ。
「…別に、私は苦には」
「ハイ賛成票、1票かくとーく!」
えーちょっと。
冷水を安堂ペースに巻き込むなよー、ズルイ。
「冷水は賛成じゃないよ、安堂… 「春川ちゃん、アンタも嫌よね?イブにカフェでバイトなんか。」
あ、ますますズルイ。春川に振るなんて。
「…えっ」
フロアに丁寧にモップをかけていた春川が驚いて振り向く。
そのとき一瞬見えてしまった。パーティ会場で、せわしなくてきぱきと働きまわる春川が。…うーん、確かに。
「そうかー。せっかくのイブに、ハルにバイトさせるのなんか、ちょっとかわいそうか。」
きっと春川は苦にしない。
けど、彼のそういうけなげなところが、逆にかわいそうなのだ。
「…いえ…、イブにバイトなんか普通ですし…俺は店長の、やりたい、ほう…で…わわ」
安堂がぼくを置いて、まだ何か喋っている春川に向かってフロアを横切っていく。春川がどんどん怯えた顔になる。(←かわいい)
「いでででで!!」
よく見えなくなったが、春川はどうやら鼻をつままれたようだ。
「安堂!」
ほーら冷水が怒った。春川をいじめるから。
「アンタをイブに働かせなんかしないわよ!」
どさくさに紛れて春川に抱き付く安堂。
(おいおい、冷水の御前でござるぞ。)
勇気あるう。
「アンタって、本っ当に幸せ貧乏根性が染み付いちゃってんだから!」
『 幸せ貧乏根性 』?
なにそれおもしろい。
「よせ安堂!」
冷水がキレそう。冷水、かわいい。
「はははっ!わかったよ、安堂。イブはうちで、4人だけでやろう。」
きっと冷水にとっても春川にとってもそれが一番いい。
よし。春川にとって、忘れられないほど幸せなクリスマスにしてやろうじゃないの。
―― 『 幸せ貧乏根性 』
そんなこと、もう言われなくてもすむように。
春川はときどき、眠りながら泣いていることがある。
『涙をこぼす』、というよりも、本当に『泣いている』のだ。
最初は起きていて意識があるのかと思った。顔をのぞきこむと、まぶたが閉じたままクルクルしている。夢を見ているのらしい。それも、よほど悪い夢だ。
肩を震わせて、声を押し殺しながら、苦しそうに、ぽろぽろと泣く。
泣き声を抑えて、泣いているのが見つからないように。
そんな泣き方は、夢の中の彼にとっての常套手段なんだろう。だがそれは、見ていてとても痛々しい。
春川は、なぜそんな泣き方をするのか。
それは彼の心のなかに深く根付く、悲惨な過去の記憶によるものだろう。
長い人生のうちで、誰もが一度しか経験出来ない、キラキラとした貴重で多感な10代を、春川は悪夢の中で過ごしていた。
両親を不慮の事故で一度に亡くし、叔父に引き取られた彼は、それから高校を卒業するまでの長い間、その叔父の『奴隷』として生きたのだ。性的な虐待を日常的に受け続けていた。
思春期に、しかも大人の男に、歯向かうことも、逃げ出すことも出来ず、その小さな人生を凌辱され続けた。高校を卒業してからの10代の最後の2年間も、ひたすら叔父から逃げまわることに費やしていた。
そのつらさは想像を絶する。
よくこんなにきれいな心のまま、まっすぐに育ったものだと思う。芯がよほど強いんだろう。
そんな叔父との腐れ縁を断ち切って、間も無く一年が過ぎようとしている。春川は、今までの空白部分を埋めようとしているかのように、一日一日を楽しく、笑いながら過ごしているふうに見える。
(でも、まだ、こんなふうに泣くんだな。)
過去の心の傷をふさぐことは、本人が考えているよりもずっとむずかしい。
夜になると、春川の意識の奥深くに根強く刻み込まれていたそれらが闇に紛れて次々と吹き出し、春川の夢のなかで暴れだすことがあるんだろう。
試しに、泣きながら眠り込んでいる春川を、後ろから静かに抱きしめてみたことがあった。
春川は、はじめ緊張して体を少し強張らせたものの、ぼくが静かに頭を撫でてあげると、りきんでいたその体からはやがて緊張が抜け落ちていき、そのうち彼は、ぼくの腕のなかですうすうと寝息を立て始めた。
見ると顔つきもおだやかになっていて、その様子になぜかぼくのほうが癒されてしまった。
ぼくなんかに、春川を癒す力はない。
でも、春川の悪夢が少しでも遠のいてくれればいいな。
そんな安直な考えで、それから何度か、春川が泣くたびにその方法を試してみた。
―― 大丈夫。
―― ハル、大丈夫だよ。
するとその度に、春川は、安心したみたいにぼくの腕のなかで静かに“とろける”。(固まった体から一気に力が抜けていくので、ぼくはそう表現する。)
そんな春川の様子は(彼には悪いが)見ていて愛くるしくもあり、『ぼくのほうが癒され』るというのは、つまりそういうことなんだろう。
…結局、こんなのは、ぼくの自己満足のためにやっているに過ぎないのだ。根本的には何も解決していない。
(…ごめんね。春川。)
…いや。ごめん、…冷水。
――『 春川を守り通す 』
完全無欠で完璧主義者な冷水は、耳まで赤くしながらもカッコよくそう言い放って、春川だけのヒーローとなった。あの人間嫌いの冷水が、おそらく人生で初めて人間に対して一目惚れしたのだ。その様子は、ときおりぼくがやきもちしてしまうほど。
春川の夜泣きのことを、ぼくは一度冷水に相談してみたことがある。
大失敗だった。
冷水は春川の隠された苦しみにひどく戸惑って、「―― かわいそうに…」 とつぶやいたきり、何も言えなくなってしまった。
どこにもぶつけようのない怒りを抑え込むように、手をきつく握って固まってしまった。
…そんでそのあとで、
「…春川と寝たんですね?」
と、殺し屋みたいな視線をぼくに投げた。
(はわー、しまった。しまったバレた。夜這いしてるのがバレまくった。)
ぼくは全身に “ 冷たい水 ” を浴びせられたような『やらかした感』に襲われたが、冷水が次に、「まあ、それはいいんですが…」と言ってまた春川の苦しみについて考え込みだしたので、逆に不安になった。
「いいの?」 ぼくがきくと、冷水は、
「…春川が幸せならいいんです。それに、あなただから。」
と無表情で言い切った。
いいわけない。苦しいにきまってる。
なにしろ冷水は、春川のことが大好きで仕方ないんだから。
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