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SAIKI side 2
春川のおかげで冷水は少しずつ変わってきている。
何気ない春川の発言にそっと動揺していたり、自分の作った料理を絶賛しながらおいしそうに食べる春川の様子に密かに喜んでいたり。
一般的な表情の振り幅ではないから、春川は気づかない。でも、春川は確実に、人形みたいだった冷水に毎日新しい魂を入れてくれている。
だがしかし、かわいそうに、春川は冷水のそんな大変革には気づかずに冷水のことを相変わらずの冷血漢だと思っている。冷水は表情が乏しいうえに、不器用だから。
冷水もそれを知っているので、自分から春川に近づくことはしない。
それどころか“逆”潔癖性の冷水は、自分が何かに触れるとその何かを汚してしまうのではないかという強迫観念に常に囚われていて、春川に触れることも出来なければ、誤って春川がぶつかったりすると露骨に嫌な顔をする。
…本当は、春川を抱きしめて悪夢を追い払ってあげたり、そんな春川の様子に癒されたりするのは冷水のほうなのに。
(…ああ。ぼくはやっぱりいい人間じゃないな。)
冷水が春川のことを好きなのも知っている。
春川がぼくのことを好きなのも知っている。
なのにぼくは、冷水のことも春川のことも好きだから、全部わかっていて、そのすべてを、…楽しんでしまう。
ぼくはだめ人間なんだ。
春川は、早くこのことに気づいて、すぐにでも冷水のところに行くべきだ。
ぼくをさんざん憎んでくれてもいい。いや、そうするべきなのに――
24日は早めに店を閉めて、ぼくら4人はぼくの実家へと向かった。冷水はディナーの準備、ほかの3人でツリーの飾りつけなどをする。
今日のクリティカルヒットは、ツリーの飾りつけをしていた春川の
「やっぱり本場のツリーには、願い事とか飾らないんですねえ。」
だった。
しみじみと言うので、ぼくも安堂も最初春川が何を言い出したのかわからなかった。ちょうど皿を並べに来ていた冷水が、
「春川、それは七夕の短冊です。」
と言ったことで、ぼくと安堂はひっくり返った。顔を真っ赤にしていた春川には申し訳なかったが、ディナーの最中にもその話題は何度か繰り返された。
―― クリスマスディナーは、コースじゃなくて大皿に盛り付けてみんなで取り分けましょうよ。
てっきり安堂は冷水の本格的なフレンチのコース料理を期待していたのかと思ったが、イブの夜くらいゆっくり、という自らの提案にはきちんと従うらしい。
逆に冷水が嫌がったが、春川が冷水を気づかって「俺が配膳とか手伝いますから、コースにしましょう。」と言いだしたのを聞くや、即座に「じゃあ大皿で。」と言った。
イブの夜に働かせたくないという冷水の気づかいが春川に伝わるはずもなく、春川は普通に撃沈していた。冷水、不器用ですから。
慣れない大皿には、コース料理の内容がそのまま反映された。
オマール海老のヴァプール、イベリコ豚のグリエ赤ワインソース、黒トリュフのペリグーソース、フレッシュ・フォアグラとポルチーニ茸のソテー、…などなど。
普段なら料理の温度にだって気をつかう冷水のことだ。こんなの耐えられないだろう。でも、せっかくのイブなんだから、冷水だって少しはぼくらとゆっくりご飯を食べるべきなんだ。
ほら、いつもみたいにキッチンから盗み見しなくても、春川が料理に悦ぶ様子がちゃんとわかる。
(めずらしくいい提案だったな、安堂。)
そう思って安堂を見たら、安堂もすごく嬉しそうにふたりを見ていた。
春川にワインを飲ませすぎたかもしれない。デザートのクリスマスケーキを食べ終わったころ、春川が泣き出した。
「こんなにしあわせなクリスマスは、ほんとうにひさしぶりです。」
ろれつもまわってなかったし、嗚咽まじりで聞き取りづらかったが、なんだか春川が言うと胸にせまるものがある。安堂なんか、つられ泣きしだした。(安堂はなんだか最近、オネエというよりオバチャン化してきている。)
「かあいそうにねえ。アンタ、これからはしあわせになんのよう。」
「……。」
安堂の涙ながらの言葉は春川に届いたのか、届かなかったのか。
結局春川はそのままこてん、とテーブルの上に突っ伏して寝てしまった。
「ちょおっとアタシの涙返してよ!」
ぶうぶう言う安堂をしり目に、春川をソファに寝かせ、それから3人で、春川の今までの最悪な過去を少しと、今後の幸せな未来について多いに語った。
今朝はよく眠っている。
だが何かしらの夢は見ているようだ。でも、いい夢なんだろう。ときどき頬がゆるんで笑ったような顔になる。
(よかっね。)
そのとき、
「…んちょう、ひみずさんが…」
春川が何か寝言を言ってもぞもぞした。
がさん!「ふわっ」
春川は、ソファからプレゼントの箱が落ちた音で飛び起きた。
ソファの上で、フラフラと上半身を起こしたまま少し固まり、目をこすっている。
「…ん…?」
まだ寝ぼけ眼だ。その仕草は、相変わらず仔犬か仔猫みたい。
(なんでソファで寝てるのかな。)
(…あれ?…―― なんでこんな服来てるのかな。)
(……あ、そうか、昨日店長に着せられたんだった。)
そんな声が聞こえてきそう。
春川はトナカイのコスチュームを引っ張り、それからゆっくりあくびをした。
―― はふ
「メリークリスマス、ハル。」
「はわ!」
春川は慌てて顔を上げて、ベッドに腰掛けたぼくを見る。
大きな黒目がますます大きくなる。
髪はボサボサ。前髪にまで寝グセがついていて、余計にかわいい。
「あ、おっ、おはようございます!」
(ぜっ、ぜんぜん気づかなかったっ)
また声が聞こえてきそうになって、笑ってしまう。
「ははは!ぼくのこと、人形かなんかだと思ったんでしょう?」
春川は、
「いや、ひとがいると思わなくて、」
と真面目に回答しようと必死にがんばる。
(かわいいな。)
そうだ、おはようのキスしよう。
ぼくが立ち上がると、それだけで春川は緊張して背筋を伸ばした。
(ほら、春川も期待してるみたいだし。)
黒目がくるくるとぼくを追いかけている様子が、またかわいい。
途中、ソファのすぐ前に置かれたローテーブルの上に、ゆうべ安堂が持ってきた金色の包み紙のコイン型チョコレートがあるのを見つけた。春川のかわいい目を見たまま一粒とって、指先で金色の包み紙をぺりぺり剥がす。
おはようのキスは春川のこれまでの生活習慣には無いもので、朝から変に緊張させたくないからヤメろ、と冷水からは固く禁止されている。
けど、今日はクリスマスだし、ぼくはクリスチャンではないけれど、おめでたいことには乗っかるべきだから、キスくらいはいいことにする。
(新しい生活習慣にしてしまえば、そのうち緊張することも無くなると思うけど。冷水だってすればいいのに。)
「というか現状がハアクできてなくて、あの、昨日、俺、――ん」
チョコレートをくわえて、そのまま春川の口に押し込む。
さらに舌でチョコレートを春川のほうに押すと、チョコレートはすぐに溶け始めた。
そのままゆっくり、チョコレートを春川の舌の上で溶かす。春川の舌が、ぼくの舌と絡んで甘くトロけていく。
「…ん…」
ぼくがしつこいから、春川は少し怯えたようだ。あごをひこうとしたので、春川の頭を包み込むようにしてまた上を向かせ、その舌をさらに楽しむ。
ぼくに合わせるように、ぎこちなくぼくの頭に触れる春川。
春川は、実は人から触られるのが苦手。ぼくにすらまだなかなか慣れてくれないが、そこがまたかわいくて、春川の魅力のひとつだったりもする。
だからわざと抱き寄せるみたいに大きく背中を撫でると、春川の鼻からは小さな吐息が漏れた。
反応を十分堪能して、ようやく春川を解放。
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