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第7話
「あ、あの魔王様、こちらの方はもしや人間では……?」
書類を小脇に抱えて近づいて観察すると、商人は突然現れた俺の正体を測りかねて、オドオドとアゼルを伺い見た。
そう聞かれた魔王モードのアゼルは、素っ気なく鼻を鳴らす。
「商人のくせに情報に疎いな……シャルは俺の嫁だ。手ぇ出したら殺すから、死にたくなきゃ今すぐ顔覚えろよ?」
「え……っ? 嫁、……え!? き、既婚!?」
「違うぞ、アゼルが嫁だ」
「魔王様が!?」
「ばっ何回言わせんだよそんな、かっ、可愛いくせにっ、お前がハニーに決まってんだろ馬鹿野郎ッ!」
「ハニー!?」
アゼルがガウガウと吐き出す言葉全部に、目玉が飛び出しそうなほど驚愕する商人。
どっちが嫁か戦争はいつものことなので、俺達にしてみれば普段通りだ。
旦那さんになればお嫁さんを可愛がる権利を与えられるからな。引くわけに行かない。
商人はえっ? えっ? と俺を見てアゼルを見て交互に首を振るが、本当のことだぞ?
誰も「ドッキリ大成功~!」とプラカードは持ってこないので、諦めてほしい。
魔王なアゼルだが、大々的に自分のあれそれを発表したりしないのだ。
魔族の種類にもよるが、レア魔物で夜闇に隠れて魔境に篭っているクドラキオン魔族なアゼルには、他人に発表するなんて思考はない。
そもそも結婚というか、相思相愛の生き物は知らない間に番になっているものだと思っている。
──まぁ、他の魔族の婚約発表パーティーなんかにお呼ばれすることはあるみたいだが。
それも種族それぞれなんだろうな。
魔界は戸籍もないのだ。
「……ん?」
そう考えて、ふと思った。
ただのシャルな俺の苗字は、結婚したらナイルゴウンになるのだろうか。
魔界の家名は入婿にも適用されるのか、これはいつか聞いてみようかな。
そんなわけで、城勤めでもない商人が驚くのも、無理ない。
アゼルは魔王になって数十年、噂では一夜限りの相手も、愛人も、側室も、正室も、一切なにもないという噂だった。
ユリス曰く、美味しさ満点のイイ話にもつれない態度を示していたそうだ。
俺も親しい人達以外にわざわざ言ったりしていないし、魔王城付近に住んでいなければ、俺の姿までは知らないだろう。
視察に行った街ではなにやら吹聴しているみたいだけど、魔物語がわからないので、俺は内容を知らないぞ。
閑話休題。
話が長くなるのは、相変わらず俺の悪い癖である。
「お妃様とは露知らずとんだ御無礼をっ!」
梅干し壺を眺める俺に慌てて頭を下げる商人だが、俺のほうがなんだか申し訳ない気持ちだ。
パピヨン顔の大きな耳がパタパタ動いている。
ササッと近寄り、アゼルに聞こえないようヒソヒソと小さな声で耳打ちしてきた。
「いや、大丈夫だ。俺は脇に控えて書類を書いているだけの予定で、今は成り行きだからな」
「いえいえ! 魔王様にお妃様がいらっしゃると存じていれば、うちの最高級のお飾りや衣服をお持ちいたしましたのに……! 宝物庫の宝石にも見劣り致しませんとも!」
「い、いやいや、大丈夫だぞ」
「それでは買えば幸福になるという壺がございますが! もしくは人間にも効くという不老長寿の秘薬が……! 夜の衰え知らずでしょう! 盛り上がりますぞ?」
「待て待て、スケベな顔になっているぞ。後そういうのは本当にアゼルが丸ごと買ってしまいそうだから、よしてほしい」
相手が人間だろうが魔界屈指の財力を持つ魔王の妃と見るや、商魂逞しくさっそく揉み手であれこれセールスする商人。
くっ、上手い言い方をする商人だ。
アゼルは警戒心が強いので不要な物は買わないが、幸せになるとか、夜の方向性だとか、そういう物だと俺に効果を期待する。
お陰で慌てた俺は全力で首を左右に振って、ダメダメと拒否した。
こらアゼル。
ガーン! というショックな顔をしても、変な壺は買わないぞ。
壺を買わせる商人は、危険なのだ。
「ゴホン。それよりも、他のおすすめのものを見せてくれないか?」
「喜んで!」
相手が人間だろうが魔界屈指の財力を持つ魔王の妃と見るや、商魂逞しくさっそく揉み手であれこれ選ぶ商人。
結局──セールスマンに弱い俺は、手のひらサイズの木彫りの熊を選んだ。
アゼルどうこう言ってお前は買ったのか、というツッコミは許してほしい。
あの、いやな?
これはその、懐かしのアレだったんだ。
──祖母の家のテレビの上にあった、鮭をくわえた熊のアレだったからつい……!
現代を思い出して懐かしくなってしまい、つい衝動買いしてしまったそれ。
商人が帰ってから反省した俺は、お城の調度品予算ではなく、俺のポケットマネーで支払い申請をすることにした。
面目不甲斐なし。
今月は財布の紐強化月間だな。
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