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第77話

「ぁぁ…ッシャル、シャル…っ絵画の亡霊……動くなと言うなら、救い出せ!そんな顔をさせるなッ!」 『ッ煩いッ!煩い煩いッ!私に敗れた紛い物の愛が指図するなッ!』 アゼルの悲痛な叫びが耳に届く。 名前を呼ばれて、痛みが酷くなってバッと両手で耳をふさいだ。だめだ、やまない、止まらない…ッ! 「助けて、」と訴えながらリシャールを見つめても、忌々しい表情を向けられるだけで安らぎが返ってこない。 どうして、そんな顔で俺を見る? 俺の、奥底は、何を苦しんでいる…? 『なぜなんだ…!?こんなことは初めてだ、笑えッ!』 「アァ…ッ」 耳を塞いでいても脳に届く篭った響きのリシャールの声で、俺は両耳を塞ぎ涙を流しながらニコリと歪に笑顔を見せる。 「はっ、はは…っあはは…!」 こみ上げて来る笑いのままに声を上げて醜い笑顔を晒すのに、とめどなくあふれる、涙。 止まらない、止まらない…ッ! 誰か助けて。苦しいんだ、痛いよ。 ひきつった笑顔で、よろめきながらもリシャールにすがるような目を向ける。 「とまら、ない……止まらない……痛い、痛い痛い痛い痛い、痛い、痛い…っ!」 「シャルッシャル、シャル…っ!あぁぁあッ返してくれッ、泣いてるッ返せッ!返せェェエエッ!」 バキッバキバキッ 「あ、あぁあッ!」 『く…っ!化け物めッ!』 悲鳴を上げたアゼルの咆哮は部屋の亀裂をどこまでも広げ、ついにドゴンッ、と重厚な音がして、外側の壁が崩れ落ちた。 ビュウウッと吹きさらしの大穴から晴れた空が見え、風が舞い込む。 舞い込んだ風でまた実体を失い始めていたリシャールの身体が……ユラリと、揺らいだ。 ビシッ 「うっあッ」 そして計った様に所々表面が焦げた室内に広がる亀裂が、浴室へ続く扉へ差し込んだ時。 俺は心の痛みに操られるように、泣き笑いの汚い顔をアゼルに向けた。 「アゼル…」 「シャル…ッ!」 「バスタオルの山の、底に…」 「ッ!」 ──偶然だらけの、一瞬のスキだった。 言葉を吐き出しながらも飛び出したのは俺のほうが早かった。 愛する者の大切な絵画の危機に聖法は忠実に俺の身体を操作して攻撃から守ろうと何よりも早く動かす。 だが、俺を一瞬で葬る事ができるアゼルの方が、後出しで追いかけながらも暴走する魔力をかき集めて魔法を放つのが、早かった。 『何を、やめろッッ!!』 揺らいだリシャールが元通りに戻り、異常に気がついて叫び出すも、そんなものは何より手遅れで。 ドクン、ドクン、と、痛みを訴えていた心臓の音が、耳の奥で木霊する。 昨晩散らかしてしまったバスタオルの山で覆い隠した絵画を、無数の細かな闇の刃が襲う瞬間。 スローモーションの世界だ。 守らなければと俺は躊躇なく洗面所へ飛び込む。 だが正確に放たれた魔法によって舞い散る真っ白な布と、黒い刃で切りつけられ無様に転がる絵画には届かない。 ──それでも、俺の体が止まる事はできなくて。 それは、すべてが重なって、カメラのシャッターが何枚も世界を切り取るような一瞬の長い時間だった。 「ぁ…」 ザシュザシュッザシュッ 「シャルッ!」 絵画に降り注いでいた刃が俺の体をもろともに切り裂く。 パッと花開くように飛び散った、真っ赤な俺の血が、洗面所も絵画も全てを赤く染め上げる。 あそこに見えているのはなんだ? 俺の腕か。足は……あぁ、足首から先が転がっているじゃないか。 ドサッと、糸が切れた人形のように、倒れ込む。 四肢が切り刻まれても、俺は溢れ出ていた涙を止めて、安堵に身を委ね笑った。 血だまりに沈む俺を呼んだのは、劈くような悲壮に溢れた愛おしい声。 沢山……傷つけて、ごめん。 裏切って、無様で、救いようがないダメな俺。 お前の信頼に頼るしかない、最低の俺。 泣かせてばかりの俺。 意気地なしの、臆病な俺。 謝っても許してくれないかもしれない。 もうお前は以前のように、笑ってくれないかもしれない。 だけど、こんなに血塗れで、みっともなく足掻いても、諦めることなんて出来なかったたった一つの宝物。   「返ってきた……俺の愛する人は……アゼル(・・・)……この気持ちだけは俺の、真実…」 俺は、バラバラになった身体を誰かに抱き寄せられながら、意識を手放した。

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