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第76話
ポタ、ポタ、と滴る涙。
俺を愛する王子。
俺も、愛してる。俺は、お前の姫。
───なのに。
「シャル……ッ」
「あ、れ?」
焦り一歩踏み出すアゼルを、リシャールが困惑しながらも視線で制した。
何故か、胸の奥が痛い。
まるで深海に一人きりで取り残されてしまったかのように息苦しい。この雫はなんだ?どうして俺は、泣いている。
頬に触れると、確かに湿っている。
いいや、手の上にも滴る雫は、今尚俺の目から降り注いでいる。
突然溢れた止まる事のない涙。
俺は悲しくないのに、こんなに笑顔なのに。
『姫、どうした?姫は王子の腕の中で泣いたりしないよ?止めなさい』
「あぁ、そうだな」
リシャールは俺の涙に、酷く顔を顰めた。
すぐに優しい笑顔でそう声をかけられたが、声はどう聞いても苛立っている。
愛する人を苛立たせるなんて、だめな俺。
急いで手の甲で涙をぬぐって何度も拭き取るが、それでもとめどなく溢れる涙。
なんでだろう?
苦しい。助けて、リシャール。助けて……リシャール、……リシャー、ル。
「とまらないよ、リシャール」
縋るように半透明な体に擦り寄る。
俺を助けてくれるのはリシャールの筈。胸に頬を預けて甘えるが、涙は止まる事がない。
だが、リシャールは涙する俺を抱きしめてはくれなかった。
『なんだ…?天使の聖法は抗えない。どんな人も姫になる。私だけのモノになるのに…』
「リシャール、どうしよう?」
『止めるんだ。心の残りカスなんてあってはならない』
「ん゙、ぐ…」
苛立つリシャールは濡れそぼった俺の瞳を乱暴に、ゴシゴシと強く擦る。
俺の心を得るに連れ確かな実体を持ち始めたリシャールの手は、擦れて痛い。
それでも涙は止まらない。
ん、痛いな、痛いよ、そんなに強く擦ったら目が取れそうだ。でも構わない、お前のすることなら。
そうしていると突然──体が動いて、リシャールの前に出る。
ピシピシピシッ!
「危ない…っ」
途端に見えない細かな刃が俺の服や髪を切りつけ、咄嗟に声が出た。体には幸い傷がついていないようだ。
抑えられないアゼルの魔力の暴走がリシャールに襲いかかって、俺はどうにか庇い立つことができた。
よかった……愛する人に怪我がなかった。
魔力にやられると、効果は薄くともリシャールも無事では済まない筈だ。
俺が庇うとわかっていたリシャールは微動打にしないが、イライラとアゼルを睨みつけ、乱暴に俺の顎をすくう。
『言え、言うのだ!お前の愛する人の名を!』
「リシャール、リシャール。愛している。リシャールを愛している」
『ならば今すぐその不愉快なものを止めろッ!』バシッ
「やめろッ!」
『動くなッ!』
言葉とは裏腹に泣き続ける俺の頬を、リシャールは声を荒げて強く叩いた。
途端にアゼルがゴウッと暴走する魔力を燃やし、部屋中に炎の熱波が波紋のように広がったが、リシャールの怒声で俺達の目の前に達したものだけは触れる直前で消える。
ブワッ、と熱い風が体を包んだ。
傷だらけの室内が焼け焦げくすぶっている。
言葉にする度、死んでしまいそうなほど胸が痛い。枯れ果てそうにない涙の泉で、頬がふやけてしまいそうだ。
感情は幸福だ。
どこも傷はない。
愛する人に触れられて、俺は今幸せそのもので新たな世界へ行きたいだけ。
なのになんなんだ…?
なんなんだ、なんなんだ、なんなんだッ!?
涙をぬぐって、ぬぐってぬぐって、それでも止まらない。
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