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第79話

──真っ暗な闇の中にいた。 方向感覚を狂わせるようにどこまでも続く先の見えない闇に、俺はどうすることもできず漂うしかない。 どれくらい漂っていたのか……不意に、闇の向こうから何かがやってきた。 軽快な音楽が聞こえる。 キコキコと油を刺していないハンドルを回したような音。 近付いてきたのは、関節の歪んだ、細く長い、道化師だ。 派手な服を着て、首も手も足もくねらせながら、四本の腕で器用にアコーディオンを鳴らしながら藁人形を踊らせていた。 不格好に跳ねるだけのダンスをする藁人形。 それは不可思議で、チグハグの組み合わせ。 だが首を傾げたくとも、俺にはそれを眺める事しかできない。 ヒョコ、ヒョコ、と跳ねる藁人形。 ペイントされた笑顔の仮面をつけた道化師と、調子外れなノリのいい音楽。 そこへ突然。 闇の中から飛び出してきた黒い子犬が、小さな身体で藁人形を追いかけ始めた。 くぅん、くぅん、と鳴きながら必死に子犬は縋るが、追いかけても追いかけても道化師の操る糸で逃げていく藁人形。 それはそうだ。 子犬に操り人形の仕組みなんてわからないだろう。 気の毒に、ショーを続ける道化師なんて見えてないのか、ただ藁人形だけを追いかける子犬。 道化師は追いすがる子犬をいくらか弄んで、嘲笑うようにスルスルと紐を引いて藁人形をその手に収めた。 子犬は、藁人形がいなくなって、闇の中を必死に探している。 地面を見つめ、どんどん的はずれな場所へと藁人形を探して這う子犬。 道化師は、そのにこやかな仮面のままに、藁人形を地面に置いた。 子犬が気がついて、走り出す。 だが、道化師は操り紐の代わりに手にした五寸釘を、ガツンと藁人形の胸に打ち付けた。 ──痛い……ッ! 胸に突き刺すような痛みを感じる。子犬の目の前で、なんて惨い事を。止めたくても俺にはどうする事もできない。 ガツン、ガツンと打ち付けられる藁人形を、子犬は唖然と見つめ、ポロポロと涙をこぼして藁人形の前に座り込んだ。 道化師は腹を抱えて音もなく笑い、次に新しい藁人形を取り出して、これみよがしに子犬の前で音楽に乗せて跳ねさせる。 しかし子犬は新しい藁人形に見向きもしないで、地面に縫い付けられた哀れな藁人形だけを涙ながらに見つめている。 そのうちにつまらないのか、道化師はまたショーを続けながら去って行った。 あんなに必死になるほど、子犬にとってはあの藁人形が大切だったのか。 他の人形ではだめだったのか。 子犬の力ではどうしようもない姿の藁人形を見つめて、俺は胸が苦しくなった。 ──ふと、体が動いた。 身体があるのかすらよくわからなかった闇の中、俺は腕が動く事に気がついた。 一歩踏み出し、二歩踏み出す。 ゆっくりと歩み、泣いている子犬の隣にしゃがみこんで、釘を抜こうとしたが、すり抜けて触れられない。 もどかしい気持ちで、子犬を慰める。 『ゴメンな……これはもうだめだ、諦めろ。お前ももう泣いてないで、どこかで他の藁人形を貰っておいで。ここにいたって、どうしようもないぞ』 頭をなでてやろうとしたが、やはりすり抜けた。 子犬は、俺の言葉も聞こえていないのかボロボロと泣き続け、水たまりを作っている。

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