81 / 615
第81話
♢
バタン、と扉の閉じる音がして、瞼が震える。
やけに重たい瞼をどうにか動かしゆるりと目を開くと、見慣れない天井が暗闇の中に浮かんでいた。
──夜、か…?
月明かりが差し込んでいる。体に触れる温かいシーツ。どうやらベッドに沈んでいるようだ。
全身が痛くて、瞬きするのも気だるい。酷く喉が渇いて、意識も疎らだ。
俺は……俺は、確か……身体を切り裂かれて死んだんじゃ…、っそうだ。
「…ぁ゙、ぜ…る゙…」
絞り出した声は随分と掠れていて、二の句を告ごうとしてもコホコホと咳き込んでしまう。
よろめきながらもなんとか身体を起こす。なんだか、腕が細く干からびてる気がする。あぁ、あまりつきにくい体質なのに、また筋肉をつけ直さないと。
なかなか動かない脳がくだらない事を考えるのを追い出して、周りに視線を飛ばす。
「ん゙…」
ベッドのすぐそばで、探し求めていた存在を見つけて、俺の心は喜びに溢れた。
アゼル。
よかった、無事だった。
椅子の背もたれにだらりともたれかかって眠る彼に、ブランケットが被せられている。
無傷に見えるが、閉じた目の下には濃い隈があった。夜の室内が薄暗いせいか、肌も青白い。窶れて、苦しそうに眉を寄せて眠っていた。
恐らく、殆ど眠っていなかったのだ。
食事も取っていないのかもしれない。
四散したはずの体より、ズキズキと痛む胸。痛ましい姿に、悲しくてたまらなくなる。死んだ筈の俺はどれくらい眠っていたのだろうか。
そおっと、ゆっくり、ベッドに腰掛ける。
自分の身体を見下ろしてみると、完全に切断されていた手も足も、指も、半分裂けて内臓が見えていた胴も、見窄らしくなってはいたが綺麗に戻っていた。
俺はアゼルに触れたくて、立ち上がろうと膝に力を込める。
だが、乾いて筋力の落ちた身体は糸の切れた操り人形のようにドサッ、とカーペットの上に倒れ込んだ。
「ぅ゙、ぁ…」
ふかふかのカーペットが衝撃を緩和してくれたが、少し痛い。
いつもの俺達の部屋じゃない、部屋。
ふらりと這うようにしてアゼルが座る椅子の手すりを掴んだ。それを支えに、どうにかアゼルの膝に上体を預け、その暖かみに頬を寄せて。
ポタリと、ブランケットにシミができた。
──もう駄目だと思った。
心まで〝姫〟になってお前じゃない人に愛を感じ、操られて盲目的に献身していたあの記憶は、解放された今も俺の胸にどす黒い楔のように突き刺さっている。
自分への愛をまるごと他へ移した不貞な俺なのに、盾にされると刃を止め、しかし諦めることも出来ず、信じ続けたあの姿。
耐えられなくて魔力が暴走してしまう程あんなに殺意を抱いていたのに、リシャールを闇に葬れば、契約の力で俺が死んでしまうと知って身を削る思いで攻撃を抑えた。
愛おしそうに憎い幽霊に寄り添う裏切り者の自分の妃を、それでも「返してくれ」と頼み込んだアゼル。
ともだちにシェアしよう!