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第85話
アゼルは拙い俺の長い話を、黙って聞いてくれていた。
両の手が、俺の湿った頬を包む。
そっと額をコツンとあわせられ、黒い瞳はまつ毛が触れそうな距離にあった。
アゼルは、痛ましそうにくしゃりと顔を歪ませて、笑うのに失敗したような笑みを浮かべる。
「馬鹿だな、お前は……いつも人の事ばかり想って、傷ついていく、だって……?──お前が綺麗だと言うそれは全部、自分の事じゃねぇか」
それは優しい贔屓目の言葉。
俺は小さく首を横に振った。
俺のどこが綺麗なんだ?
足手まといの弱い存在のくせに、こんなに醜く執着して、無様に足掻いている。
違うと言おうとした乾いた唇は、見つめ合ったままそっと塞がれた。
カサついた表面を舐められ、きゅっと閉じた唇を温めるよう何度も覆われる。
されるがままの迷子のような俺を見つめて、アゼルは眩しそうに目を細めた。
「自分のことなんかいつも後回し、人の事ばかり、俺の事ばかり。俺が嫉妬深くて、心が狭い、クソガキだから、不安にならないようにすぐ言葉にしてくれる」
「違う、違う……そんなんじゃないんだ……俺の愛なんて薄っぺらい独りよがりで……なのに身勝手にお前に頼って憤ったり、お前の手にかけさせて死にかけたり……守って貰ってばかりで、いつか取り返しのつかない事になるかもしれないとわかっていても離れられない。最低の利己主義な男だ…っ」
「ほら、お前はそうやって自分を責めるだろ。欠片も悪い事をしてねぇのに、当然のように、まず自分を省みるんだ」
自分の格好悪い所。相手の為を思って離れてやれない。愛してもらえる限り、絶対に離れてやれない。そんな子供の愛し方なのに。
アゼルは瞳を閉じて、額をスリ、と擦り付ける。
それはまるで甘えているようにも思えたが、どうしてか、懺悔しているようにも思えた。
そうして語りだす、愛情の裏側。
「俺は自分がどうなんて考えずに、奪おうとする者を排除しようとした」
お前が言葉も体も奪われて真実を告げられないと知らずに、言ってもらえない事に何故、どうして、酷い野郎だと、そう言って、罵倒した。
俺に糾弾されるお前の死にそうな顔を見れば、わかった筈なのに。
お前がずっと〝助けて〟の一言すら、自分の意思では伝えられないのだと。
俺を裏切る自分を傍観し続ける心を、どうしたって何も言えない事を、愛していると言いながら何一つわかってやれなかった。
「俺は……俺は一度、お前の言葉を疑ったんだ」
言葉と行動が真逆のお前は何がしたいのか、お前の本当がどこにあるのか、理解できなくなった。
今まで見てきたお前は嘘で、俺を嘲笑って居るのかとすら思った。
揺らがない程お前に愛されている自覚があれば、本来する筈のない事をするお前が異常だと、焦燥で怒鳴り散らしたりせずすぐに気がついた筈だ。
なのに間抜けにもこうして話してもらえるまで真相を知らず、役にも立たないのに眠るお前を見ている事しかできない俺。
おかしな話だろう。
あの絵画の幽霊が俺を貶めてこれみよがしに奪う為に狙われたお前が、誰よりもボロボロじゃねぇか。
身勝手に妬んだあの絵画が諸悪。
絵画に妬まれた俺に当てつけるのが根源。
誰にも異常を告げられずに一人で足掻き続けて俺に切り刻まれたお前が……一番、とばっちりを受けた。
裏切りなんじゃないかと疑うのが馬鹿なくらい、お前はいつだってわざとわかりやすく愛してくれていた。疑った俺が、弱かった。
真っ直ぐで、正直者で、嘘を吐くのが下手くそで、我慢ばかり覚えたからお前の嘘の吐き方はあんなに透明なんだ。
透明なお前が黒くなる事を強いられている。それがどれだけ痛いのか。
強かったから、一番に傷ついて。
そして一番、自分を責めている。
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