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第186話

そうやってしばし会話を楽しんだ。 月が天へ昇る頃、アゼルが軽く手を振る。 すると室内の明かりが全て消え、窓からの月明かりだけが俺達を照らした。これはこれで美しい。 薄暗くなると、暖かなこの腕の中はトロトロと眠気をもたらす魔力がある。 不思議だろう? アゼルの腕の中は魔性の空間なのだ。 どんな日でも俺の行き着くところはいつもここだから、昼間離れていても俺は不安にならない。 アゼルもそう思ってくれればいいのだが、それとこれとは別なんだと言う。 安心が伝わればいいなと胸に寄り添うと、背中に回った手が体を軽くなでた。ふふふ、寝たフリか。 瞼を閉じるとまつ毛が影を作り、滑らかな髪が白い頬にかかる。魅了効果があるのを抜いたって、胸が高鳴ってしまう。 月明かりに照らされたアゼルはあまりに綺麗だ。 俺はコイツほど月が似合う男を、他に知らない。 目を閉じているのをいいことに、眠気眼でそっと鑑賞する。贔屓目はあるかも。愛とはそういうものだからな。 「…………」 こんなに綺麗な人が俺のものだなんて奇跡のようだ。 ふとした瞬間、そう思う。 人間と言うのは、弱く、残酷なものである。 そんな感情も繰り返せば無意識に慣れてしまうんだ。 気持ちが通じた時は感動して、そばにいる幸福だけを噛み締めていた。 初めて交わった日に、怪我の中目を覚ました夜の安寧。 プロポーズをした日の朝に胸を充たした、充足。 好きだと言わずにいられない。 愛さずにはいられない。 確かに思ったこと。 しかしいつでも触れ合い、愛を囁き合える生活となると……毎日毎日改まって恋なんて、しなくなってしまう。 順応するタイプだから余計だ。 アゼルと肌を重ねたり、彼に好きだと言うことに恥じらいもなくなる。 抱きしめられて歩いていても、溶けるほどドキドキすることもない。冷たいだろうか。 長い生を生き、感情のスパンが長い魔族。 急激な変化に戸惑う代わりに、そうした心の移ろいは控えめだ。 魔族であるアゼルは俺ほど慣れてはいない。 それでも、彼も初めより慣れてきた。 俺に愛されている自覚があると思う。 照れくさがってはいても、初めての翌朝のように逃げ出すことはもうない。 気遣いはするが遠慮はなく、好きなように抱きしめてキスをしてくるし、嫉妬も隠さない。 嫌なものは嫌だと言って、今日みたいに怒ったり意地悪をしたりと、甘酸っぱくてフレッシュな恋心ではなくなっている。 もちろん、俺だって好きなようにキスを強請るけどな? 外に出たいと駄々もこねるし、仕事はするんだと意地も張る。プレゼントは近頃、受け取らないと突っぱねるのだ。 セレブの所業で買ってきたら、お説教をすると脅してある。お金や物がなくても愛しているのに。 そうなるとお互い、些細なことで小さな不満を感じた。 喧嘩はほとんどしなくても、遠慮なく小言は言い合う。 『襟の開いた服を着るな』 『臍出しの服を着るな』 『俺に黙って遅く帰るな』 『俺に黙って視察に行くな』 『部屋に出しっぱなしだった子犬の躾け方本はどういうことだ』 『部屋に出しっぱなしだった人妻の官能小説はどういうことだ』 そうなるとぶつかることもあって、その時はお互い「わからず屋め」と呆れたり、不貞腐れたり。 傍から見ていると俺達はなんの不満もない、甘ったるい関係に見えると思うけれどな。 アゼルは些細なことでもワガママで、俺に秘密で勝手に決めてしまうし、俺は甘え下手で可愛げがなく、鈍いのでうまく真意をわかってやれない。 そういうところは二人きりのこの部屋でだけ、つつきあって拗ね合うのだ。

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