186 / 615
第186話
そうやってしばし会話を楽しんだ。
月が天へ昇る頃、アゼルが軽く手を振る。
すると室内の明かりが全て消え、窓からの月明かりだけが俺達を照らした。これはこれで美しい。
薄暗くなると、暖かなこの腕の中はトロトロと眠気をもたらす魔力がある。
不思議だろう?
アゼルの腕の中は魔性の空間なのだ。
どんな日でも俺の行き着くところはいつもここだから、昼間離れていても俺は不安にならない。
アゼルもそう思ってくれればいいのだが、それとこれとは別なんだと言う。
安心が伝わればいいなと胸に寄り添うと、背中に回った手が体を軽くなでた。ふふふ、寝たフリか。
瞼を閉じるとまつ毛が影を作り、滑らかな髪が白い頬にかかる。魅了効果があるのを抜いたって、胸が高鳴ってしまう。
月明かりに照らされたアゼルはあまりに綺麗だ。
俺はコイツほど月が似合う男を、他に知らない。
目を閉じているのをいいことに、眠気眼でそっと鑑賞する。贔屓目はあるかも。愛とはそういうものだからな。
「…………」
こんなに綺麗な人が俺のものだなんて奇跡のようだ。
ふとした瞬間、そう思う。
人間と言うのは、弱く、残酷なものである。
そんな感情も繰り返せば無意識に慣れてしまうんだ。
気持ちが通じた時は感動して、そばにいる幸福だけを噛み締めていた。
初めて交わった日に、怪我の中目を覚ました夜の安寧。
プロポーズをした日の朝に胸を充たした、充足。
好きだと言わずにいられない。
愛さずにはいられない。
確かに思ったこと。
しかしいつでも触れ合い、愛を囁き合える生活となると……毎日毎日改まって恋なんて、しなくなってしまう。
順応するタイプだから余計だ。
アゼルと肌を重ねたり、彼に好きだと言うことに恥じらいもなくなる。
抱きしめられて歩いていても、溶けるほどドキドキすることもない。冷たいだろうか。
長い生を生き、感情のスパンが長い魔族。
急激な変化に戸惑う代わりに、そうした心の移ろいは控えめだ。
魔族であるアゼルは俺ほど慣れてはいない。
それでも、彼も初めより慣れてきた。
俺に愛されている自覚があると思う。
照れくさがってはいても、初めての翌朝のように逃げ出すことはもうない。
気遣いはするが遠慮はなく、好きなように抱きしめてキスをしてくるし、嫉妬も隠さない。
嫌なものは嫌だと言って、今日みたいに怒ったり意地悪をしたりと、甘酸っぱくてフレッシュな恋心ではなくなっている。
もちろん、俺だって好きなようにキスを強請るけどな?
外に出たいと駄々もこねるし、仕事はするんだと意地も張る。プレゼントは近頃、受け取らないと突っぱねるのだ。
セレブの所業で買ってきたら、お説教をすると脅してある。お金や物がなくても愛しているのに。
そうなるとお互い、些細なことで小さな不満を感じた。
喧嘩はほとんどしなくても、遠慮なく小言は言い合う。
『襟の開いた服を着るな』
『臍出しの服を着るな』
『俺に黙って遅く帰るな』
『俺に黙って視察に行くな』
『部屋に出しっぱなしだった子犬の躾け方本はどういうことだ』
『部屋に出しっぱなしだった人妻の官能小説はどういうことだ』
そうなるとぶつかることもあって、その時はお互い「わからず屋め」と呆れたり、不貞腐れたり。
傍から見ていると俺達はなんの不満もない、甘ったるい関係に見えると思うけれどな。
アゼルは些細なことでもワガママで、俺に秘密で勝手に決めてしまうし、俺は甘え下手で可愛げがなく、鈍いのでうまく真意をわかってやれない。
そういうところは二人きりのこの部屋でだけ、つつきあって拗ね合うのだ。
ともだちにシェアしよう!