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第229話

 魔王の結婚。  ただ結婚しただけなら、さほど重要ではない。過去の魔王達もまちまちで、結婚をするもしないも人によりけりだ。  だが、自分の世界を倦怠で染め上げた嘆きの魔王の結婚は──その溺愛ぶりが異常だと報告を受けた。  それも初代魔王と遜色ないほどの陶酔だと。  怒らず、悲しまず、笑わない?  馬鹿な。  些細なことで唸り、離れがたいと眉を垂らして、愛の言葉に頬を染めながら、生娘のように悶えるあれが?  天魔会合にやってくる嘆きの魔王は、いつもとまるで変わらなかったのに、まさかと信じられるわけがないだろう。  愛想笑いも浮かべずに目を細め、つまらなそうに報告だけを交わす。  友好を兼ねた食事会も、決してものを食べず、飲まない。心を決して開かない。  それが妃の関わることだと別人のようなのだ。  警戒心なんて皆無。底抜けの信頼を妃に向けている。  天界の王族は初め、誰一人信じなかった。  しかし人が変わったような報告書を読みすすめていくにつれて、そこに嘆きの魔王の隙を見つけたのだ。 〝魔王城一棟全壊時の証言からの報告〟 〝魔王の私室に侵入者があったが、妃が人質に取られていたために、魔王は身動きが取れず魔力ごと暴走状態へ〟 〝侵入者を排斥する際、誤って攻撃を受けた妃が重体に陥ると、魔王は茫然自失となり、心身ともに疲弊し、日常もままならないほど弱体化〟 〝──彼の妃は、人間である〟  あぁ、なんと言うことだ。  やはり天族は神に愛されていた。  歴代魔王にもそんな存在がいればよかったが、人質に取れるような存在はあまりいない上に、いても侮りがたい強力な魔族であるばかり。  それがどうだ。  民衆に脅しをかけるほど溺愛している存在が、あの人間だと?  知恵を持つ種族の中で、最も下等な種族じゃないか。  最強の存在のコントローラーは、脆くか弱いただの人間。天族に逆らうすべを持たない、脆弱な生き物。  で、あれば。 『奪ってしまおう』  これは当然の帰結だろう?  心が砕けるほど大切な者なら、奪ってしまって壊すことのできない枷としよう。  愛する人の代わりに国を差し出す、哀れで愚かな王とするのだ。  勝利の展望を見据えた欲望塗れの会議室に、口々と笑みが溢れ出す。  世界の頂点は天族にこそ相応しい。  天下取りに興味のない種族だとしても、魔族が力を持つなんてナンセンス。  だが不安があるのも確かだ。  慎重派の者達が万全を期するべきだと問題点を口にする。  嘆きの魔王は歴代トップクラスの魔力を持つ、本物の化け物。  枯れ果てない魔力を内包し、傷を負わせるのは難しい。  防御に優れた天族では、守りはできるが足止めをすることはできない。  正面から盗りに行けば諸共潰されるだろうし、みすみす奪われないよう、そうそう傍を離れてはいないだろう。  そもそも城から出すことはないと聞く。  隠密に忍び込むことは出来ても、敵の力が最も高まる本拠地で魔王と相対するのは、不可能だ。  理解し難いが、妃は大事な宝物なのだろう。  危機が訪れれば即座に気づく。  あの化け物から奪うことは容易ではない。  それでもこの無二のチャンスをモノにしたい天族達は、頭を捻って考える。  どうしよう。  どうしよう。  あぁ、まて、あれがある。  あれ? あれか。  あれは貴重なものだ。  しかしあれしかあるまい。  数十年効けば事足りる。  チャンスは一回きりだがあれならば。  あれなら確かに。 『ではそうしよう』  愛しているから大事ならば、愛していないものなら簡単に奪えるだろう。  愛していなければ。  愛する()ならば。  一度キリのいいところまで巻き戻し、忘れられた妃を奪って、その後元通りに早送りするのだ。  そうしてやれば、また恋い焦がれて愛する者を見殺しにはできず、身動きできまい。  奪おう。  奪おう。  奪おう。  奪おう。  魔王が妃と過ごした記憶を、まるごと全部奪ってしまおう。 『さぁ、狼煙を上げろ』 『お前の大事な宝物を』 『蹂躙するぞ──ナイルゴウン』  せいぜい嘆け、魔王らしく。

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