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第240話
「……っ」
アゼル──そう呼びかけようとして、唇を噛む。
目の前でお前に悲しまれ、それを慰めることができないなんて、酷い拷問だ。
俺は湿っぽい空気を払拭するように、殊更明るい語気で魔王様! と大げさに声をかけた。
「もし、もし今もそう思っているなら、少なくとも一人は確実な人がここにいるぞ? 俺は貴方の妃で、魔王様が大好きなんだ。どんな貴方も、本当に、本当に、大好きだ!」
「な……なに、言って、」
ぎょっと目を丸くするアゼル。
悲しみを驚きで塗り替えた。
にへらと笑いながら、ゆっくりと伝わるように、けれど陽気ぶった語調で、俺は語り続ける。
「ライゼンさんも、他のお城の魔族達も、もう十年以上お前のありのままを見てきた。今更言葉を選んで、そんなに怯えて話すことはない」
「っ……、チッ、お前は、呑気な男だな……そう簡単な話じゃ、ない。俺にはまだ、そんな出会い、ない」
「フフフ、舌打ちしたな。呑気な俺に腹を立てればいいじゃないか、砕けて話すといい。実はずっと気になっていたんだ。威圧的な話し方なんてしなくていい。どんな言い方をされても俺はちっとも怖くないぞ? ん?」
「う、るさいな、うるせぇぞ、ッ」
ニコニコと揶揄い混じりにそうやって茶化すと、アゼルは鬱陶しそうに苛立って少しずつ乱暴な言葉使いを出してきた。
何度も笑いながら、もっと寛げばいいやら、お前のお気に入りの本はこれだやら、お腹が減っているだろうお菓子を食べるか、やら、ちょっかいをだす。
できるだけ底抜けの呑気者に見えるように。あけすけな物言いでもちっとも気にしないのだと、わかるように。
アゼルは短くスッパリとほっとけ、いらない、興味ない、減ってない、と拒否したが、そのうちに怒り満面で青筋を立ててバンッ! とローテーブルを叩き、穴を開けた。
「いい加減にしやがれッ! うるせぇって言ってんのがわからねぇのかこのノーテンキ人間がッ! おちおち考え事も出来やしねぇッ! これ以上くだらないことで話しかけてきたら、その首刈り取るからなッ!」
「う、いやぁ、それは困るな。困るからおとなしくしよう」
あちゃあ、と笑って肩をすくめて見せると、アゼルはグルルと唸り声を上げて威嚇する。
思考が途切れたと怒りながら本棚に向かって歩いていくアゼルを見送って、テーブルを叩いたせいで零れたお茶を片付けてカップも丁寧に集めた。
……それでいい。
悲しみはそのまま忘れてしまえばいい。
代わりに思っていたより怒らせてしまったのは申し訳なくて、ズキ、と胸が痛むが、アイツが悲しんでいるよりもずっとイイと思った。
もっと上手に笑わせてあげられたらいいのに。
笑い方を忘れたなら、俺が教えてあげるから。
俺がたくさん笑って、お前にそれを教えるぞ。
何度だって怒ればいい。そうして追い出しても戻ってくるものを教えてあげよう。
俺はアゼルが大好きだ。愛している。
俺との記憶が消えても、全て消えたわけではないなら、お前はお前のままじゃないか。
──俺はいつでも、お前の幸せを祈っている。
大丈夫、大丈夫だ。
記憶が戻るよう、お前がお前の時間を取り戻せるよう、俺はそばにいる。
もし記憶が戻らなくても構わない。
もう一度お前に愛してもらえるように、一生かけて口説いてみようと思っているんだ。
お前のなくしたものを、もう一度俺が。
「……俺は変わらず、お前が好きだから、な」
本棚の本を選ぶアゼルの横顔を見つめると、胸がトクトクと暖かく鼓動する。
夜色の髪がサラリと揺れる。それは触れると柔らかい。
瞳を縁取るまつげは長く影を作り、本に触れる指先は白枝のように繊細だ。
全部全部、俺の知っているお前のまま。
「片想いからもう一度、お前の腕の中を目指してもいいか……?」
そしてまた寄り添えたなら──いつもの甘い声で、今日の〝ただいま〟を言ってくれ。
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