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第247話(sideアゼル)
理解できない俺は、俺の理由はともあれアイツの理由は保身のためなんじゃないかと考えた。
それだけ俺に愛されていたのなら、人間国でどんな暮らしをしていたのかは知らないが、おそらく妃の方がイイ生活が出来る。
でないと、悪逆非道と認識されている魔族の王で、臆病で独占欲が強くて面倒な俺を、好きになるような殊勝な人間がいるわけない。
その証拠に、アイツは俺が全て忘れていると聞いてショックを受けたようだったのに、すぐに笑顔を見せて擦り寄ってきたのだ。
俺の目を見つめるのも、そういう人を大事にしようと心掛けていたことを知っているからだろう。
それに俺の名前をアイツが呼んだ時、俺の耳は気持ちが悪くて仕方なかった。
俺のファーストネームを呼ぶ相手が、まずほとんど居ない。
そして愛称で呼ぶ相手なんて、一人もいない。
─── アゼル
アイツが俺を呼ぶ声が、本当に、胸焼けするほど甘かったんだ。
俺がおかしいわけじゃない。
記憶もその名残も微塵もない。まったくの他人だ。
アイツの呼び方だ。
アイツの呼び方がおかしい。
魔境で魔物が頬をすり寄せあって番に甘える時のような、デートの待ち合わせをしていた恋人へ声をかけるような、そういう響き。
猫なで声でも舌っ足らずでもない、普通に男の、なんならしっかりとした男の声。
なのに名前の後に〝愛してる〟なんて付きそうな程優しく呼ばれたら、俺は変になってしまう。
だから止めさせた。
そんな声で呼ぶ男に、にこにこと人好きのする明るい笑顔でアレコレと世話を焼かれ、更に魔王様が大好きだなんて言われる。
美味しい話には裏があるように、俺にとって都合がよすぎる人には、裏があるはず。
ならもう、アイツの狙いは決まったも同然だろ?
底抜けの馬鹿は、俺のペースを乱して仕方ない。
俺を煽るようなことを言ってくるから、子供のように声を荒げてテーブルに穴を開けてしまう。
けれどアイツはアホ面さげて〝どんな言い方をされても怖くない〟なんて言うし。
俺のことが知りたいなんて、どうせもう知っているくせに。
俺がティーセットを気にしていたなんて見抜いて、あっけらかんと笑いやがって。
それがどれだけ貴重なことか、わからないくせにあっさりと。……あっさりと、寄越さないでくれ。
挙げ句の果てには──
『残、念ながら……効かないんだ。俺は貴方が好きだからな。愛とは無敵なんだよ、ふふん』
──なんて。
つい目を見て睨んでしまった俺に、正面切って馬鹿なことを言ったアイツ。
だって俺は本当にアイツのことを、覚えてねえんだよ。
それを申し訳なく思う。
思い出してやりたいと。できないから罪悪感があるくらいに。
今まであった魔族と見るや攻撃を仕掛けて憎悪の目で睨み、蔑み、排除しようとする人間と違って、アイツ個人を見た結果だ。
だけどわかる。無理だ。
心は覚えていて、記憶がなくても愛おしいなんてこともない。
内的要因ではなく聖導具で記憶を奪われたから、この十八年間身についた習慣や感情は欠片も残っていない。
だから愛せない、愛していないと、なるべくはっきり希望がないと伝えたんだ。
するとアイツは、そんなことは関係ないと言ってまたアハハとノーテンキに笑った。
俺は今までほとんど誰かと話さなかったのに、初対面であれだけ会話ができた人。
うまく優しい言葉を吐いてはやれないが、ほんの少し……いや、もう少し。
それなりに、悪くないと思ってしまっている。
そこに、愛おしさなんてものはない。
飼ってやれないと突っぱねているのに、それをわからない野良猫が懐いたような気分だ。
だからこそ、馬鹿なやつだと呆れるし、考えなしのお花畑だと戸惑って困惑する。
まぁメンタルが超合金だから、どうにも諦めないだろうが。
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