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第279話(sideアゼル)
「──シャルがいねェだって?」
ドサ、となにかが落ちる音がした。
無気力に振り向くと、少し後ろに立ち尽くしていた見覚えのある男が、俺に向かって呟く。
城下街にある紅茶専門店のロゴが入った紙袋が、男の足元に落ちている。
そこにいたのは、黒い長官の軍服に身を包んだ銀色の竜人──ガドだった。
俺は光のない剣呑な目で、ガドを見返す。
そんな目をしてはいけないとわかっているのに、感情を押さえつけるのに精一杯で、声のトーンや愛想を考える余裕がない。
ガドは朝は空軍の朝礼に出てるはずだ。
それが終わって、巡視隊を率いる前にここへ寄ったのだろうか。
流石に長官。
常日ごろ気配を消すのは当たり前だが、にしても俺は全く気が付かなかった。
殺気を察知することができる。気配はできないけれど、警戒心と勘でいつも気がついたのに。
俺は……まだアイツに乱されてる。
「……そうだ。聞いてただろ? 俺が昨日の夜、アイツにいなくていいと言った。消えろと言った。だからアイツは傷つき、嫌になり、出ていった。空っぽのココが証拠じゃねぇか」
ガドはすっと目を細めて、ゆっくりと大股で俺の目の前にやってきた。
俺より背の高いガドに見下されても、たじろぐことはない。
家族のいない俺にとって、ガドは密かに卵の頃から見守っていた子供のままだ。
幼稚で未熟な情緒しか持たない俺と、子供のガドは、言葉や行動はなくとも共に過ごした。
常識を教えるライゼンと教わった俺達。……家族、と思っている。勝手な烏滸がましい認識だが。
だがそんなガドを相手にしても、安らぐことはない。
喪失、また喪失。
失敗。失敗だ。
また間違った。また失った。
踏み出したところで遅かった。
考えないと行動できない。
考えている間にこぼれ落ちていく。
ならば、無知は罪だ。
いつものこと。
だけど……アイツは、アイツを失うのは、いつもより、痛い。
人の種類で痛みが変わる。
皮肉なことに、俺をあたたかい優しさで包んでいたアイツは──俺を崩れそうなくらい、痛めつけられる男だった。
「魔族となんて、相容れない。……人間は、弱いんだよ。傷がついたらすぐに消える。元々、そんな存在だ」
俺は今、心の残りカスが鋭利になっている。
「……そういうことか……」
ガドの蛇のように細まった、アメジスト色の瞳。
俺の虹彩すら塗り固めるようなオニキス色の瞳が、それと軋んで絡み合った。
「ヘェ、わかった。でもなァ、シャルは昨日俺と約束したんだぜ。俺と魔王とシャル、三人でアイツの焼いた胡桃のクッキーを食う。アイツはそう言った」
「あぁ? 知るかよ。だから、嘘吐きなんだろうが、アイツは……、……明日帰ってくるって、大嘘吐いて逃げ出したんだ」
「ハ? だから……俺にもう嘘を吐かねぇッて言ったんだよ」『アイツはァッ!』
ズゴォンッッ!!
「ッ!?」
──ほんの一瞬のことだ。
勢い良く突っ込んできた巨体が大口を開けて俺の下半身を咥え、そのまま空高く飛び立つ。
俺の言葉に突然激しく言い返したガドが、猛烈に唸りだし、竜に姿を変え、文字通り俺に噛み付いてきた。
「ッ決闘ッ……! 離せッ、殺しちまうぞッ!」
ビュゥゥゥウゥゥ……ッ、と鼓膜を突風に揺さぶられながら、俺は反射的に放ちそうになった魔法を無理矢理消す。
一対一の攻撃。
これは決闘だ。
どちらかが負けを認めるまで終わらない。
自分の意思を貫く権利をかけた、決闘。
だがガドは俺より弱いのだ。──それをわかっているはずなのに、殺されたいのかクソ……ッ!
『ハッ、今の魔王に殺される俺じゃねェ! なにが弱いんだッ!? なにが嘘吐きだッ!? 嘘を吐かなきゃイケなかったのがなぜだか、わからねェのか臆病者がッッ!!』
攻撃を躊躇する俺に、キレたガドが噛み付いた牙から麻痺毒を流し込み、言葉で責め立てる。
一時身体が動かず、思い切り顎に力を込められ、俺の身体は真っ二つになった。
ゴシャッ!
「ああ゛ぁあッ!! ッ、ンの、イテェな」『クソトカゲ風情がッッ!!』
ゴオォォッ!!
しかし俺は、真っ二つになったくらいじゃ死なない。
ダメージは大きいがすぐに第三形態──本来の魔物である巨狼に変化し、ダメージをすべて帳消しにする。
そして闇の魔力を全身に纏い、そのまま目の前で羽ばたくガドに向かって突っ込んだ。
──臆病者だと?
そんなことは、誰よりも俺がわかっている。
俺が誰より──自分が大嫌いなんだよッ!!
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