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第284話(sideメンリヴァー)

 カツ、カツ、カツ、と石畳を鳴らして、薄暗い通路を歩く。  窓もないここは湿っぽい空気が充満し、カビやなにともわからない汚れで、あちこちが変色している。  そこの一番奥の部屋は、牢獄ではない。  天界にとって重要な人物をもてなす為の、特殊な部屋。 「オープン」  ガチャ、ギイィィ……。  ノブに手を当てて解錠すると、鋼鉄でできた重い扉がゆっくりと開いた。  メンリヴァーは臆することなく、部屋の中へ足を踏み入れる。  そして暗い石畳の部屋に、明かりを灯した。  ボッ、と照明具が光り、ようやく中の様子が見て取れるようになる。 「…………」  そこには、深い眠りの中に沈む人間の男が一人、X型のやや斜めに設置された張り付け台に拘束されていた。  両手足首は台の枷に固定され、身動きが取れない。  だらりと脱力している男は、成すすべもなく眠っている。  元あった衣服は捨てられ、黒い囚人服を着せてある。  黒は天界において魔族の色、つまり悪の色なのだ。  この男は──魔王の妃。  今回の計略の要。  おびき寄せるための餌であり、おびき寄せた後の枷でもある。  それをメンリヴァーは冷めた目で眺め、忌々しげに舌打ちをした。  ──見れば見るほど、憎たらしい男だ。  魔族が性別を気にしないとはいえ、魔王程の強者の血なら残すべきだろう。  ただでさえ繁殖能力が低いのに、皆無な相手を選ぶなんて。  それに男を選ぶにしても、コレは欠片も愛らしくなく、天界で美しいとされる繊細な美に欠けるのだ。  中身も凶暴極まりない。  敵と見るや剣を振り回して襲い掛かってきた上に、善意の交渉は聞く耳も持たない、野蛮なケモノ。  挙句、話の終わりを見て奇襲をかけ、相討ち覚悟の自滅だ。人間とは思えない。  交渉は、確かに誘拐を楽にするために必要なことだった。  追手がかかりにくくする為に、自筆で書き置きを残させたかったのもある。  それにうまく天使を味方だと思わせれば、簡単に言いくるめられた。  抵抗する人質を殺すわけにはいかなかったから、自主的に来てもらうほうが、ずいぶん良かったのだ。  ──なのに。  結果としてこの男は、一度完全に死んでしまった。  彼を襲った天使。  天界宰相である逆巻(さかまき)の天使、ウィシュキス・アリアンドール。  対象の死亡。  それは絶対に許されない展開だ。  ウィシュキスがそれほど長くはないが、時を巻き戻せる聖力を持っていなければ、この計画は破綻していた。  計画なんて知りもしないだろうが、この男は確かに……命に変えて、魔王を守ったと言える。  しかし残念ながら、それは不意を打たれたとはいえ防御の得意な天使を殺せずに、無駄となった。  あの愛想のない宰相をあそこまで傷付けた人間は、コレが初めてだろう。  完全に死んだものを生き返らせることは本来不可能だが、寿命や病でなければ、数時間時を巻き戻せば生き返れる。  もちろん制約もあったが。  その能力は無機物ならば時間が伸びるが、生物は数時間だけ。  そして能力の時間が経過するまで、多重がけはできない。  奇跡的にうまく歯車が噛み合って生き返れた、全く可愛げのない野蛮な男。  メンリヴァーには理解できない。  なぜこれを愛したのか。  無様に勝ちにしがみつき惨めに自分だけ死んだこれより、自分のほうがずっとずっと美しい。  黙って従えば愛する魔王の記憶を返すと言ったのに、それを捨てて抵抗した薄情なこれより、ずっとずっと憎らしく愛している。  愛と憎しみは表裏一体。  あの日誘いを断ったことを、あの言葉を、後悔させる為に。  今度はきっと、頷くだろう。  それが貴様の幸せだ。  貴様には僕が一番相応しい。  笑う天使のエゴイズム。  ハッピーエンドの幸福論だ。

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