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第287話

 なんて、そんなの烏滸がましいというものだな。  顎を掴まれたままでは俯くことはできない。  それで良かったと思うし、今俺のするべきことは俯くことじゃない。  機嫌がいいという本人の弁のまま、絶好調で語る言葉を黙って受け止め続けた。  反抗心をなくして、絶望したような目をして見せる。 「天使に監視されていることも知らずに、傷つけないために笑って強がった結果、仲違いして自分から一人になって。ウィシュキスが接触する前にやってきた空軍長官が最後のチャンスだったのに、それも追い返してわざわざまた一人になって。狙いが魔王であるように見せかけていたとは言え、自業自得だとは思わないか?」 「…………」 「今まで当然のように受けていた寵愛を失い、ピーピーと幼児のように泣きじゃくるぐらいダダをこねた癖に、無理矢理納得したらもう記憶はいらないだと? それならば初めからさっさと諦めていればよかったのだ。貴様の成すことは全て無駄、無駄の塊。ふっあははっ! 何がしたいのか理解できんわ、愚かすぎてな」 「…………」 「挙句に自分から(かしず)く機会を捨てて、弱小人間の分際で勝てもしない相手に抗うなんて……ふふふ、ド低脳(・・・)が。貴様の弁を用いるならな、愛しているなら潔く従えばよかったんじゃないか? 貴様が死ねば悲しむのだろう? ん? 結局自分だけ死んで、悲劇を気取るのはさぞ楽しかっただろうさ。可哀想になあ、弱いばっかりに怒ることも許されないのだ」  そうやって延々と悦に入りながら、よくもそれだけというくらいメンリヴァーは俺をひたすらに詰った。  俺が文句も言わず生気を失ったままに罵倒を受け入れるのを、心地よさそうに眺めながら、悦楽を甘受する天使。  言っていることは正しいのだろう。  俺は渇望し、葛藤し、ヘドロのような暗闇に瞳を濁らせ、まずはこれ以上痛まないように顔を上げたに過ぎない。  一時しのぎの前を向いた首は、重さに耐えられずボトリと落ちた。  そのせいでいらない不安を煽り、優しい友人に迷惑をかけたのだ。  持ち上げた心は落ち窪み、また浮き上がって深淵へ沈んでいく。  ずっとその繰り返し。  長くありがたい清らかなお言葉は耳に染み入り、俺にさあ絶望しろと告げる。  どのくらい長く語られていたのか知れない。  処刑を待つ囚人のようになにもかもを諦めた表情の俺に、歪んだ笑顔を浮かべたメンリヴァーがそっと美しいご尊顔を寄せた。 「偽善なんだ、貴様の愛は。自己犠牲に酔いしれながら、それが周囲を傷つけるとは気づかない偽善者。僕がどうしてわざわざこんな場所に足を運んだと思う? 貴様に身の程を教えてやるためだ」  するりと滑り、顎を掴んでいた手が離れる。  メンリヴァーは笑みを浮かべたまま、腰から武器というより調度品のような華美な、白銀のレイピアを引き抜く。  そしてその切っ先で──俺の腿を突き刺した。  ドスッ 「ッ、ぅ……ッ!」 「くっ、くははははっ! 痛いか? 安心しろ、天族は治癒を得意とする。貴様は大事な人質だからな。貴様の四肢を指先からひき肉にしようとも、すぐに元通りにしてやろう! そうして何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もッ!」  ドスッドスッドスッ! 「ああぁぁッ……!」 「僕の魔王を愛した愚かさを懺悔するまで、激痛を与えてやるぞ。ここはな、牢獄ではなく……拷問部屋だ」  言葉のままに突き刺される腿の傷から流れる血で、俺の足元に血だまりができていく。  体と心を傷つけてようやく、メンリヴァーがレイピアを引き抜き、俺の頬で血を拭って腰の鞘へ収めた。  頬を伝う自分の血の匂い。  甘く芳醇だとアイツが好んだそれは、俺にはただの鉄臭い液体にしか感じない。

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