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第288話

 俺は恐怖をにじませた表情で、傷が痛いと震えてみせた。  縋るような眼差しで、メンリヴァーを見る。 「拷問だって……? こんなに痛い、痛いんだ……っ、これ以上俺をどうする……っ、謝れというなら、謝るから……!」 「んー? フンッ、今更おじけづいても無駄だ。ククク……無様だな? 魔界では大きな顔をしていても、誰も味方のいない天界に連れ去られればこうして命乞いをするのか。醜い、醜いぞ魔王の妃!」 「ふぅ……っう、っ……ならば、ならば殺してくれ……! 俺にはもうなにもない……手も足も自由にならない、こんな俺はまさに虫けらのようじゃないか……た、耐えられない……っ」 「あはははは! 殺してくれ、か!」  ガタガタと怯え始める俺を、目の前の天使は愉快で仕方がないと笑う。  そして俺の悲痛な命乞いをうんうんと聞いてから、浮かれた声で「カッター」と呟いた。  声に連動して、メンリヴァーの手のひらから三日月型の光の刃が飛び、俺の指先を切り落とす。  声にならない悲鳴を上げる。  頭をめちゃくちゃに振って悶え苦しむ。  吹き出す血に焦燥するように指先に視線をやって、今の聖法でも傷一つついていない磔台の強度を確かめる。 「ああ……ッ、指が、俺の指が……ッ!」 「ふふふ……いやだね。なんで貴様の頼みを、次期天王たるこの僕が聞かねばならないんだ? 絶対に、殺してやらない。惨めに苦しんで生きろ」  メンリヴァーの手のひらは逆側の指先に向けられ、俺は数分後には全ての指先を失っていた。  ◇  いったい何時間、たったのか。  全身がむせ返るような血の匂いにうもれている。  だが俺の体には傷一つなく、不自然に血液と冷や汗と涙で湿った服が気持ちが悪い。  宣言通り俺の四肢を端から細切れにしていったメンリヴァーは、俺が痛みに喘ぎ泣き叫んでも傷を回復して決して死なせなかった。 『起きろ』 『〜〜ッは、うあぁぁっ、あっ、ひっ嫌だ、嫌だ嫌だ……もう、や、やめてくれ……っ』 『ハッ。下等生物が。口のきき方には気をつけろと言わなかったか? ん?』 『許して、っ……ごめんなさい、許してください、ひっ、ひ……っふ、痛い、痛い……っ』  気を失えば骨を折られ、覚醒させられる。  それはすぐに回復させられ、俺はわざとらしく哀れに泣き叫んでみせた。  その繰り返しは地獄。  だけど、抜け出すための地獄である。 「ほら、治療してもらったらいうことがあるだろう?」 「はぁ……はぁ……ぁ、ありがとう、ございます……、はぁ……」 「礼儀を弁えろよ? 貴様はなんだ?」 「て、天使様、の……オモチャ……です……」 「初めからそう自覚していればよかったのだ。まったく、ウスノロの人間は覚えが悪くて躾が大変だな」  メンリヴァーは狂いそうな苦痛の中、心の折れた俺を玩具に仕込んだ。  そうして満足そうに腕を組み、怯える俺を眺める。  俺はそれに一言の口答えもなくビクビクと痛みに恐怖して、求められるがままの返事を返した。  初めは嫌だ、やめてくれ、帰してくれ、殺してくれ、と騒いでいたが、そのたびに痛めつけられ俺は徐々に自己を押しつぶしていった。  痛みは生物全てが恐れる感覚だ。  危険を知らせる信号。逆らってはいけない。  そんな反抗的な憎い小虫を従順な人形に調教するおもちゃ箱に、重厚な扉をノックする音がした。 「入れ」  ガチャ 「……ソリュシャン王子殿下、陛下がお呼びです。魔王を天界へ呼び寄せる件で……」  扉が開き、姿を見せたのは俺を攫ったあの天使だった。  俺は沸き立つ感情を殺して無反応を装い、新たな天使の登場に震える。  確か、ウィシュキス、だったか。  俺を生き返らせた、命の恩人になるのだろうな。 「お父様が? ……チッ、いいところを。あの方は実の子供の僕でさえ、何を考えているかわからん」 「そうおっしゃらず、陛下は温厚で優れた天王でございます。陛下の申されることに間違いはありません。それに貴方様を害するものは、私がお相手いたします」 「わかっている。お父様は考えが読めないが、誰よりもお優しい。行くぞ」 「は」  天王に呼び出されたらしいメンリヴァーは、ウィシュキスを連れて部屋を出て行く。  だが去り際に疲弊しきった俺を睨みつけ、「安心しろ、これで終わりじゃない。後でたっぷり遊んでやる」と言い残して去っていった。  俺はビクッと体を跳ねさせ、泣きそうに顔をくしゃくしゃにして俯き見送る。 「…………」  自分の血で赤く染まった石畳を、強く睨みつけながら。

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