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第300話
心の中の駄々っ子を納得させるために、お前の中から消えてしまったものをなぞって、一つ一つの奇跡的な幸福のかけらの尊さを噛み締めてみたりもしたんだぞ?
なり代わりで愛されたことも。それでも変わらないと抱きしめてくれたことも。
うっかりしたプロポーズも。それを二人で交わしあった、あの朝も。
お前には話さなかった、指輪を交換した後のことも。
アゼル。
お前の宝物庫のコレクション、本当は知っているんだ。
今後もう増えないのだろうと考えた時、俺もそうしておけばよかったと思った。俺ももっと、お前との思い出の証を残しておけばと。
そう思った。
俺だって、宝箱を持っている。
お前に忘れられた日にその中身をなぞって、記憶の裏付けに縋った。
お前のとは違うけれど、大切な宝物。
俺の宝箱の中にあるのは、人から貰った言葉なんだ。
手紙はもちろん、お前が言った何気ないこと、嬉しいこと、笑ったこと、泣いたこと、怒ったことも。
そんな言葉もメモして、大事にしまってあるんだ。
そうやって交わした言葉、積み重ねてきた記憶、温度、感触、胸の高鳴りひとつでも。
俺にとっては、かけがえのないお前からの贈り物だ。
俺はな?
それを全部、忘れていてもいいって。
俺を愛するとこんなにも不幸になるぞって、お前に笑って告げる覚悟をしたんだぞ?
底抜けに優しく、いつも笑っていて、自分よりもお前の幸せを心から願える、物語の中の素敵なヒーローになろうとしたんだ。
──なのにこんな、こんなにも簡単に、お前は俺のかっこつけをぶち壊すから。
「あんなに苦労して決めたのに、やっぱり全部思い出して俺と不幸になってくれるお前が帰ってきて、嬉しくてたまらないって、諸手を挙げて喜びたい俺が……最低で、格好悪すぎる……っ!」
最低でも、俺の足が止まらないじゃないか。
バァンッ! と片側が外れた大きな扉を、瓦礫を弾き飛ばして開く。
天井が崩れ落ちたそこは、見上げるとどこまでも澄んだ青空が広がっていて、戦場には似つかわしくない眩い晴天。
足を踏み出す俺に冷たい風が吹き込み、頬をなでる。
そんな晴れ渡る空を飛び、光速で切り合う二人分の影。
攻撃が互いに集中してる間に懸命にそれを目で追って、もうずっと見ていないような気がする人を、確かに見つける。
それは夜色の髪の、魔王様。
「っ……!」
横たわった巨大な柱の残骸に飛び乗り、空へ突き出た上端に向かって駆け上る。
早く、もっと早く。
瞬き一つ分でも早く、駆け寄りたい。
キィンッ!
「チッ……、闇、千本槍。突き刺せ」
ヒュッ
ゴゴゴゴゴゴゴゴッッ!!
「アハハハハハハハ!!」
俺の目では追いつけない速度でぶつかり合っていた二人が離れ、言葉とともに放たれた多数の黒い槍が、弾かれた三対の翼を持つ天使に向かって襲いかかった。
攻撃を受けても高笑いをする天使は、それをすべて捌こうと地上で剣を振るう。
剣撃の余波で土煙に巻かれながらも、俺は攻撃を放った男に駆け寄り、空中に足場にする魔法陣をばら撒いて、一歩一歩、踏みしめながら飛ぶ。
そしてはやる心が我慢を超え、隠密スキルが解けた。
「……っ!?」
その瞬間──彼は俺が迫る方向に気付きパッと振り向くと、凍りつきそうなほどの無表情を、別人のようにくしゃりと歪める。
ぎゅっと眉間にシワを寄せ、情けなく眉を垂らす。
真っ赤な瞳は見る間に膜を張り、俺に向かって腕を伸ばしただけで、溜まった雫はポロポロとこぼれ落ちた。
その……子供のような、泣き顔。
俺の知っている、貴方の泣き顔。
両腕を伸ばして飛び出す俺の頬を、同じものが熱く伝う。
だけど俺は仮面じゃない、心の底からの笑顔を浮かべて、戦場だとか自分の体が血だらけだとか、全てを忘れて伸ばされたその腕の中に飛び込んだ。
さあ──あの日の続きをしよう。
「おかえり、アゼル!」
「ただいま、シャル!」
どうだ、天使。
俺達は最強無敵のポンコツ達だろう。
これはな、もう悲劇じゃない。
二人揃ったら、俺達は向かうところ敵なし。
どんな悲劇も、ただの壮大なノロケのストーリーに変わってしまう。
俺以外にとってのハッピーエンド?
知るか、そんな戯言。忘れたぞ。記憶喪失になったのさ。
だってこれは、俺の物語。
──俺のハッピーエンドだッ!
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