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第302話

 自分の手を引き戻し、するりと指輪を引き抜く。 「忘れてもいいぞ」 「!?」  今度は同じように、アゼルの指から指輪を引き抜きながらそう言う。 「忘れてもいいし、嘘にしてもいい」  なにもなくなったアゼルの左手薬指に、俺の指輪をはめる。 「後でなかったことにして、笑い話にしてもかまわない」  それからようやく、持ち主の手に指輪を返す。  アゼルの左手には指輪が二つだ。  俺は持っていてもあげる人なんて他にいるわけがないから、アゼルがいらないのなら俺にもいらない。 「シャ、ル」  飼い主の背を見る捨て犬のような顔。  まるでいじめているようで、肩をすくめて困ったように笑ってみせる。  だけど俺は、失ってわかったんだ。  どんなに愛し合って誓い合ってもどうにもならない時はあるし、そうしたくなくてもそうなってしまうことがある。  俺を愛してくれているのは重々承知だ。  お前の涙は嘘なんかじゃない。  ただ、未来がわからないだけ。  失わないとその大切さがわからないのは、愚かな人間の特権だから許してほしい。  今がどれほど尊いものなのか、お前がかけがえのないただ一人の愛しい人なのか。  そしてそれが、どれほどあっけなく……消えてしまう、儚い幸福なのか。  わかってしまうと、俺はこんな予防線を張ってしか、もう我侭を言えなくなってしまった。  消えてしまうかもしれないとわかった上で、今を大切にする。  消えてしまうかもしれないなら、なるべく身軽な俺でいたい。  いつか、お前の重荷にならないように。 「冗談でいいから……ずっと俺を愛してると言って、それを俺にくれないか? 新しい誓いの言葉は、お前が考えてくれ」  静かな声でそう言うと、アゼルは瞬きほどの刹那も迷わずに、俺の左手のあるべきところに自分の指輪を収めた。  俺はわかっていたから、バツが悪くて眉を垂らす。  記憶が戻ったなら、絶対そうする。  わかってて俺はいちいち回りくどいことを言ったんだ。この絶対の信頼と愛情が失われた恐怖で、臆病になっているだけ。  アゼルは潤んでいた目をこすって、涙を拭う。  そして真っ赤な瞳は、俺を睨んだ。 「……お、お前のことだけ、俺はわかるんだぜ。だからお前がどうしてそんなことを言ったのか、ちゃんと、わかる」 「あぁ……そうか。わかっちゃったか」 「当たり前だろうが。知ってんだよ。お前が、……自分の我侭を言うのは、うまくできない大馬鹿者だって」 「できるぞ? 今やった」 「ド下手なんだよ、馬鹿シャル。俺が手本を見せてやる」 「ん、」  トン、と背中を抱き寄せられ、俺はアゼルの首に腕を回す。  すると耳元に唇が触れ、内緒話をするように告げられる、新しい俺達の誓いの言葉。  もし片方が忘れたら、なにがあっても必ず思い出させること。  決して嘘にならないよう、命懸けで愛すること。  なかったことにならないように、指輪の返還は不可能だということ。  そして笑い話ではなく、ノロケ話にすること。 「──以上をどんな時も遵守の上、死んでも、その後も、俺が俺である限り、シャルだけを愛することを誓います。……これぐらい言わないと、俺への我侭には不足過ぎるぜ」  ついさっきまで泣いていたくせに、俺が弱るとみるや、途端に元気づけようと強気になりだすアゼル。  その言葉がおかしくて、俺はついふふふと笑ってしまう。  だめだな、俺とお前が揃ったらどうしても締まらない。  俺達はいつだって、子供のように泣きじゃくってしがみつく羽目になっても、結局こうやって綺麗にまとまらない結末を迎えてしまうんだ。  だけどそれが、愛おしくて仕方がない。  お前のそばにいることが、俺の〝大丈夫〟。

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