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第502話
それについて、本当は思うところがあるのかもしれない。
女性があまりいない魔王城で暮らしているので、今まで「どうしてお母さんじゃないのか」と言う疑問を口にされたことは、なかった。
(いつかそれを聞かれたらどう答えようか……ん、その時に思っているとおりに言うしかないけどな)
タローは卵を拾った俺たちとは血のつながりがないし、種族も違う。
俺もアゼルも父親にしかなれないのだ。
だが、それでもタローを愛しているという家族の愛は、本物。
それは紛れもない事実だからな。そう言って笑おう。
楽しそうにおままごとをするタローに笑顔で付き合いながら、俺は将来の可能性をのんびりと考えていた。
楽観的な思考回路だが、事実楽観的なことである。
タローがグレて俺とアゼルに〝パパもお父さんも家族じゃない〟と言われたとして、俺とアゼルは二人丸く抱き合って夜泣きするだろうが、それでも毎日同じことを言い続ける。
だから些末な問題なのだ。
俺とアゼルは世論のチャチャには一等強い波乱万丈夫夫だからな。ふふん。
内心で俺が胸を張った、その時だ。
部屋の扉が──バァンッ! と大きな音を立てて開いたのは。
「んっ?」
「うひゃっ!?」
「──ゥアオーンッ!」
夜更けと言う程更けてはいないが、時間で言うと夜の八時前くらいの現在。
突然扉を弾くように開けてやってきた来訪者は、高らかに吠え声を上げ、後ろ足で扉をバァンッ! と乱暴に閉めた。
お行儀がよくない、というお叱りをすることもできずに、俺は数度瞬きを繰り返す。
なんというか、その、なんだ。
思わず悲鳴を上げたタローと、ビクッと肩を跳ねさせた俺の視線の先には、巨大な黒い狼が立ちはだかっていた。
澄んだ真っ赤な瞳に、濃黒の毛皮に赤黒く染まった足元。
見覚えのあるその巨狼は言わずもがな──第三形態の魔物スタイルな旦那さん、アゼルそのものだったのだ。
(え、ええと……ネ×バス的な急ぎの移動手段、だったのか……?)
「う、うわぁぁぁんッ!? わんわんッわんわんきたぁぁこわいよぉしゃるぅぅぅっ!」
「ぐふっ!」
現状を理解して出迎えたい俺が思案していると、鳩尾に幼児型ミサイルが直撃する。
魔物形態のアゼルを見たことがなかったタローは、急にやってきた野生の魔物だと思ったようだ。
泣きながら俺に突進してしがみついた。
頭が鳩尾に抉り込んでいる。攻撃に近しい。子ども兵器だな。
「! く、くぅん……っ、わぅぅ」
そしてそれを見たアゼルが、言葉はわからないが非常に悲し気な様子でしょぼん、と耳を垂らして悲壮感漂う声を上げた。
と言うか、来た時からなんだかしょんぼりしていた気がするが……なんでだろう。
うぅん、仕事でいやなことがあったのかもしれないぞ。大変だ。抱きしめなければ。
「お、落ち着くんだ、大丈夫だぞ、タロー。よーしよーし……っ。あのわんわんはアゼ、」
「ウワォーンっ! くぅ、くぅんっ……!」
「おあぁ……っ!?」
だがしかし。
ミサイルに引き続き、モフモフ攻撃が直撃。
アゼルを気にかけつつもタローを落ち着かせようとあやしたのだが、更にアゼルが遠吠えをして、俺の身体に頬を摺り寄せてきたのだ。
今のアゼルは、巨大な狼だ。
その頬擦りたるや、成人男性である俺の上体が大きくぐらつく程で、なんなら弾き飛ばす勢いがあった。
「ヒグッ…!? きゅ、きゅう〜〜……」
「んっ、あぁっ、タ、タローっ!」
至近距離で俺が一見して攻撃を受けている光景を直視してしまったタローは、キャパシティを大きく超え、気を失う。
怪我などはないので大丈夫だが、なんてこったい。
腕の中で安らかな眠りにつくおやすみ三秒のタローを抱えて途方に暮れるのは、カオスに取り残された正気の俺だ。
(うう、事情がわからない。アゼルの言葉もわからない。どうしようもないぞ……っ)
「アゥォーン……っ、アゥォーン……!」
「あ、アゼル、アゼル待ってくれっ」
体はトラックレベルのサイズでありながら、やっていることは子犬そのもの。
広い室内と言え、窮屈だろう。
おままごとセットを押しのけながら伏せの姿勢で鼻先や頬を寄せてくるアゼルは、悲し気にキューンと鳴く。
どうやら自分の言葉が通じていないことや、タローに気絶されたことを、大いに悲しんでいるみたいだ。
みたいだが、そもそも魔物の言葉が人間の俺に通じないという周知の事実は、綺麗さっぱり忘れているらしい。
結果、俺は誰か翻訳こんにゃくをくれないか、と天へ願いたくなる状態である。
「うお、た、タローをせめてベッドに運ばせてほしい……! う、ちょっと待て、待って……っ」
「ウォンっ……クゥ、くぅん……?」
「う、うん?」
巨大狼のモフモフスリスリ攻撃に耐えながら、俺はダメ元で腕の中から落とさないように抱えていたタローをベッドに寝かせてあげたいと、伝えてみた。
するとアゼルは意外にも泣きつくのをやめる。
そしてタローを闇の魔力でモコモコと包み、この場から少し離れたところにあるベッドまで、フワリと浮かべて運んでくれた。
ちゃんと上掛けを被せている。
「アゥン?」
「ん、そうだ。よかった……ありがとうな」
「ウゥ。ウォ~……」
うーん、素直だ。
褒めてほしそうに伏せの姿勢のまま上目遣いで俺を見つめてくるところも、実に素直だ。
いつもならそっぽを向くし、いつもならお礼を言われると照れてしまうので、素っ気なくワンと鳴く程度である。
しかし目の前のアゼルはお礼を言われ、機嫌良さそうにゆるりと尾を振っていた。
これはいったいどういうことなんだろう?
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