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第3話

 中に入った瞬間、ヒヤリと冷たい空気がリヴィオの全身を包み込む。  洞窟内は幸い一本道だったが、ゴツゴツとした剥き出しの岩肌に囲まれたそこは酷く静まり返っていて不気味だった。灯りもなく、奥に進むにつれて届く光もなくなり、手に触れる岩壁を辿るようにして進むしかない。  どのくらい歩いただろうか。  洞窟の静けさと暗さにリヴィオがやっと慣れ始めた頃、洞窟の奧から確かに風が吹き込んできているのを肌で感じた。その中に混ざる潮の香りも、一際強くなっている。  やがて、暗闇だった洞窟内が少しずつ明るくなってきた。遠くに、丸い光が見える。───出口だ。  導かれるように、次第に大きくなる光を目指して進む。  細く長い洞窟を抜けた直後、一気に開けた視界に目が眩んで、リヴィオは思わず目の上に手を翳した。同時に、眼前に広がる景色に息を呑む。  ───海?  せり出した岸壁に囲われた、小さな入り江。  小型の手漕ぎ舟なら辛うじて漕ぎつけられるほどの広さしかないけれど、リヴィオの前には確かに白い砂浜が広がっていて、そこには緩やかな波が打ち寄せている。  浜の先はすぐに切り立った高い崖になっていて、その上からは細い滝が流れ落ちていた。滝つぼの脇には、鮮やかな赤い花が咲いていて、傍には二人乗りくらいの小舟がひっくり返っている。どこかから流れ着いたのか、それとも誰かがここに舟で辿り着いたのか。  どちらにしても、ひっそりと静まり返った小さな入り江は、まるで自然に隠された秘密の場所のようで、『神のゆりかご』なんて名前ばかり神々しい施設より、ずっと神秘的に見えた。  舟があるということは、もしかすると誰か人が居るのだろうか。  そう思ったリヴィオが一歩足を踏み出した瞬間。 「───何者だ」  ヒュッと短く空を切る音と同時に、突然顔の前に銛が突きつけられて、リヴィオはビクリと身を竦ませた。太陽の光を受けて、ギラリと鋭利な先端が光る。  驚きのあまり、リヴィオは問い掛けにすぐに答えることが出来なかった。  いきなり銛を突きつけられたことにも、この場所に自分以外の誰かが居たことにも驚いたのだが、何よりも驚いたのは、リヴィオを脅す銛を握る男の姿だ。  リヴィオとは明らかに違う、海のような青い肌。その肌は所々鱗に覆われていて、更に人間なら耳があるはずの場所には大きなヒレがある。スラリとした細身ではあるが、背丈はリヴィオよりもずっと高く、銛を握る指の間には水かきのような薄い膜が見える。 「……獣、人……?」  どう見ても人間とは程遠い男の姿に、そう呟くのがやっとだった。  昔、本で見たことがある、魚のような身体的特徴をもつ『魚獣族』。だが、魚獣族は獣人の中でも特に閉鎖的な種族で、遠い南の離島で暮らしているというのは、リヴィオのようなΩでも知っている話だ。  その魚獣族が何故、こんな狭い隠れ家みたいな入り江に居るのだろう。  それに、リヴィオが本で見た魚獣族は、もっと獰猛な肉食魚のような顔をしていたが、目の前の男は、肌の色や大きなヒレを除けば、顔立ちはリヴィオが知るどの獣人よりも人間に近い。少し鋭い瞳の色が、人間ではまず見かけない銀色をしているくらいだ。  ───ああ、あと髪の色も変わってる。  一見すると銀髪に見えるが、光の加減によって虹色に輝く髪は、何とも不思議な色をしていた。一対の大きなヒレも陽射しを受けると淡く透けていて、何だか羽を広げた蝶みたいだ。 「何者だ、と問うている。人間が、ここへ何の用だ」  男の姿にいつしかすっかり見惚れてしまっていたリヴィルは、再び銛を構え直されて、ハッと我に返った。 「あ、あの、俺は別に怪しい者じゃ……ここに来たのも、偶然辿り着いただけで……」 「偶然?」  訝しむように、獣人が眉根を寄せる。 「たまたま洞窟の入り口を見つけたから」 「茂みで隠してあったはずだ。何より、『無還の底』へ何故人間が」 「ムカンノソコ……?」  それはひょっとして、リヴィオが落ちた場所のことだろうか。 「茂みは、多分俺が落っこちたときに潰れたんだと思う」 「落ちた、だと?」  虚を突かれたように僅かに目を見開いた獣人は、一つ息を吐いてからようやく構えていた銛を引っ込めた。 「……それで怪我を?」  獣人の視線が、リヴィオの破れたシャツの袖口へ向けられて、あちこち傷だらけだったことを思い出した。 「よく無事だったものだ」  呆れ半分、安堵半分といった声で、獣人が呟く。ついさっきまでリヴィオに銛を突きつけていた者の台詞とは思えない。  大体、リヴィオは本当に偶然この場に辿り着いただけだが、この獣人こそ何故こんなところに居るのだろう。見たところ、辺りに他の獣人の姿はない。 「『無還の底』を這い上がるのは、到底不可能だ。……舟で、手近な岸まで送ろう。この場所や、俺のことは、決して他言するな」  そう言って、獣人は滝つぼの傍で逆さになっている小舟の方へと歩き出す。あの舟は彼のものなんだろうか。状態から見るに、日頃から使われているようには思えないが。  どうやらリヴィオは招かれざる客のようだが、リヴィオより大きいはずのその背中がどこか寂しげに見えて、咄嗟に「あの!」と声を上げた。

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