6 / 8

第6話

 結局魚は、ルカが起こしてくれた火で、リヴィオの分だけを焼いて食べた。  調味料なども一切使わず、ただ焼いただけの魚を食べるというのも、リヴィオは初めてだったが、お陰で自分が生かされているのだと思うと、これまで食べたどんな魚よりも特別な味がした。  滝の水は海水ではないので、リヴィオはそれで喉を潤すことが出来たし、浜辺の隅に生えている背の高い木の大きな実も、熟せば食用になるとルカが教えてくれた。 「人間には、確か『家』が必要なのだったか」  すっかり日も沈み、夜の闇に包まれた浜辺を、焚火の炎が温かい色で照らしている。  パチパチと小枝が爆ぜる音を聞きながら、ルカが困ったように浜を見渡した。 「客人を迎える予定などなかったから、ここにはリヴィオの為のものが、何も無い」 「いきなり来た俺は、客人なんかじゃないよ。魚獣族には、家はないの?」 「俺たちは、海から離れては生きられない。逆に言えば、海があれば生きることには困らない。陸でも眠れないことはないが、海の中で眠る者の方が多い」 「み、水の中で寝るの!?」 「人間は、水中では息が出来ないそうだな。リヴィオたちは、どこで眠る?」 「うーん……普通は寝台とかで眠るけど、別に地面の上でも眠れるよ、多分。さすがに水中では眠れないけど」  寝る場所には特に拘りはないが、強いて言うなら、何か羽織れるものが欲しかった。  日中はシャツ一枚で丁度いいくらいだったが、日が落ちてからの海風は一気に冷たくなってきている。  自分自身を抱え込むようにして、焚火の前で縮こまっていると、不意にルカが隣にやってきた。  ピッタリと寄り添うようにリヴィオの横に腰を下ろしたルカの長い腕に、そっと肩を抱き寄せられる。 「る、ルカ……!?」  他人にこんな触れられ方をしたことがないリヴィオは、ドクドクと胸が騒ぐ理由がわからない。 「俺たち魚獣族は、どちらかと言えば高温や乾燥に弱い分、寒さにはそれなりに強い。だが、夜の海は冷える。衣服を着込んで、家で暮らす人間には、きっと堪える」  言葉通り、短い腰布を巻いただけのルカは、この冷たい夜風もどうということはないらしい。 「海から離れられない俺がこうしていても、リヴィオは冷えるだけかも知れないが、今はこれ以外にリヴィオを包めるものが無い。すまない」  何も悪くなんてないのに、またルカが謝る。  確かにルカの腕はリヴィオのそれよりもひんやりとしていたけれど、ルカと触れ合っている箇所がどんどんと熱くなっていくのがわかる。それこそ、風の冷たさなんて、まるで気にならないくらいに。  生まれて初めての野宿。しかも、出会ったばかりの獣人と二人きりで。  不安で心細くてもおかしくない状況なのに、どうしてこの腕の中は、こんなにも安心するんだろう。 「明日、日が昇ったら、先ずはリヴィオの寝床をどうにかしよう」  リヴィオを抱き込む腕に力を込めて、ルカが言う。  明日の夜明けは、いつもよりちょっと遅ければいいのにと、胸の奥で密かに思いながら、リヴィオは冷たくて温かい腕の中で静かに目を閉じた。   ◆◆◆◆◆ 「やった、点いた……!」  乾燥させた木くずの束に小さな炎が点るのを見て、リヴィオは思わず歓喜の声を上げた。  ルカとの生活が始まって、もう十日ほど過ぎただろうか。  毎日練習を重ね、この日ようやく初めて、リヴィオは自力で火を起こすことに成功した。 『爆ぜ石』という硬い石を、古くなった銛の刃先にぶつけ、爆ぜる火花によって火を起こすのが、魚獣族の慣習らしい。  ルカはいつも、いとも簡単にやっていたのだが、リヴィオがいざ真似てみると、これが結構難しい。ぶつける強さが弱かったり、ぶつける位置が悪いと上手く火花が散らない。 「これでいつでも魚が焼けるな」  傍らで見守ってくれていたルカが、微笑みながらリヴィオの髪を軽く撫でる。  ルカは褒めてくれたが、今回はたまたま上手くいっただけなので、ルカのように手際よく着火出来るようになるまでは、まだまだ時間が要りそうだ。  入り江での生活は、何もかもが初めてのことばかりだった。  火を起こすだけでも一苦労だし、何よりここでは、生きていく上で必要な物は、全て自分たちの手で調達しなければならない。  身一つでここへ辿り着いたリヴィオは、衣服の替えなんて持ち合わせていなかったので、今はルカが近隣の小島に打ち上げられた船の帆やロープを集めてきてくれて、それを滝で洗い、衣服の代わりにしている。  リヴィオが来たときには、朽ちかけた小舟があっただけの浜辺には、柱と屋根だけの簡素な造りではあるが、ルカと二人で建てた掘っ立て小屋があり、リヴィオの為の寝台も出来ている。  材料や道具も全て自分たちで調達して、一から造り上げていく作業は、大変ではあるけれど、リヴィオにとってはとても新鮮で楽しかった。同時に、人間がいかに利便性を求め、快適な暮らしに慣れているのかを思い知らされた。  自分たちに合わせて自然を利用する人間とは違って、獣人はいかに自然と調和して生活するかを考えている。  狩った獲物の毛皮で命を纏い、捕らえた獲物の命を食し、植物の命の中で暮らす。  整えられた環境の中で暮らしている人間は、到底獣人には敵わない。リヴィオだって、この入り江にルカが居なければ、きっと今頃生きてはいなかった。自然の中で生きることをルカが教えてくれたから、ルカが共に居てくれるから、『欠陥品』のはずのリヴィオは今もこうして生きている。 「不思議なものだな」  少しずつ大きくなっていく炎を見ながら、ルカがふと口を開いた。 「一族の元で暮らしていた頃、俺はずっと肩身が狭かった。だから、島を追われたとき、心の何処かで安堵している自分が居た。もう何も気負う必要は無いのだと。……だが、リヴィオが来てからというもの、俺の生活はすっかり変わった」 「……俺、ルカに気負わせてる?」  やっと初めて火を点けられたことに大喜びしている自分は、ルカにとっては足手纏いだろうかと不安になったが、「そうではない」とルカは緩く首を振った。 「独りで過ごしていると、一日が酷く長かった。だがリヴィオと過ごす日々は、目新しいことばかりで、瞬く間に過ぎていく。俺がこれまで過ごしてきたどんな時間よりも、きっと充実しているからだ」 「……魚獣族も、案外見る目ないんだね」  思わず零れた言葉に、ルカが目を瞬かせる。 「ルカに出会えてなかったら、きっと俺はとっくに死んでた。ルカは俺の命の恩人だし、こんなにも優しくて紳士的なルカが、ずっと息苦しい思いしなくて良かった」  何度か瞬きを繰り返した後、ルカが溜まらずといった様子で声を立てて笑った。合わせて揺れるヒレが、何だか可愛い。  ひとしきり笑った後、ルカはそっと胸元の首飾りを掬い上げた。 「俺の父と母がどこで出会い、どのように関係を深めていったのか、俺は知らない。だが、二人もこんな時間を、過ごしていたのかも知れないな」  自然しかないはずのこの入り江で、偶然居合わせたリヴィオとルカ。  種族も、第二の性も違うけれど、ここでの時間はとても穏やかだ。リヴィオがΩであることを蔑む者も居ないし、ルカが獣人と人間の混血であることを忌む者も居ない。  望んだ場所で、望んだ相手と共に生きる。  言葉にすれば単純で容易なことのようだけれど、この世界ではそれが叶わないことも多い。そして平穏な時間がそう長くは続かないのも、哀しい世の常なのだ───。

ともだちにシェアしよう!