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9:名前
「そう言えば、名前を聞いていなかったな」
馬車を降りようとしていたターリャが、抱き上げているイリに問いかける。しかし、イリには答えられない。声を出すことが出来ないイリは、自分の名前すら伝えることが出来ないのだ。
何度心の中で、自分の名前はイリだと叫んでも。それは、目の前のターリャに届くことはない。
何度も、自分の名前を言おうと口をパクパクイリを見かねて、ライタが口を開こうとした時だ。
「そうか。お前はイリと言うんだな」
ターリャがそう言いのけたのだ。
イリの口から、声は出ていなかったはずだ。それなのに、ターリャはイリの名前を当てた。
あの店からここに来るまで、誰もイリの名前を呼んでいなかったのにだ。
イリとライタが、驚いた様子でターリャを見ていた。
「どうした、2人してそんな驚いた顔をして」
「い、いえ。その、イリの名前を呼んだから、」
「あぁ。どうしてかな。不思議とお前の声は、俺の耳によく届く。ずっと俺に、自分はイリだと教えてくれていたな」
気づいてくれていた。
ターリャは、イリの誰にも届かないはずの声に。
「イリは、声までもが可愛いな」
顔を寄せてきたターリャが、イリの耳元でそう囁いてきた。初めて、優しい声でそう囁かれて、イリはゾクゾクと身体を震わせた。
「イリ。本当に、お前の全てが愛おしい。声も、匂いも、その姿も。全てが愛おしく思える」
人よりも長い舌をチロリと出して、ターリャはイリの耳をペロリと舐めた。いきなりの行為に、イリはポッと頬を赤らめた。
遊郭で遊女として働いていたが、αとこんな風に優しく絡んだことはない。いつも無理矢理か、暴力を振るわれるだけだった。
そんなイリの反応に気を良くしたターリャが、もっとというように、何度も同じ場所を舐め始めた。
「…………ターリャ様。そろそろおやめくださいませ」
「あ?」
「そろそろおやめにならないと、βとイリ様が茹でたこになってしまいます」
ヒトラの言葉に、ターリャがイリとライタを見ると、2人は顔を真っ赤にして湯気を出していた。
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