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10 DAYS

 月が最も輝きを増す時刻。  城にある宰相室にて仕事を捌いていた時、本来なら来るはずのないシュアがやってきた。 「何用だ?」 「……申し訳ございません。一度、邸宅へお戻り頂けないでしょうか」  書類から顔を上げずに問うた俺へ珍しいことを言う。  思わずシュアを見上げると、これまた珍しいではないか。  思い詰めたように眉を寄せていた。 「それは俺が仕事の手を止めるに値する用事か?」 「はい」 「そうか。なら行ってやる」  ペンを置き代わりにコートを手に取ると歩き出した。 * 「旦那様、申し訳ございません」 「お前達が手を尽くしての結果ならば謝るな」  家老の執事長が頭を下げる。  城に篭もり戻ることの無いこの邸宅を纏めあげているのはこの執事長だ。  信頼している男が匙を投げた。  それを俺がつべこべ言うことはない。 「……ぁ……ぅ、ぅ〜」  屋敷に到着するなり案内されたのは、何よりも無縁であろう子供部屋だった。  いつの間にこんなものを俺の屋敷に作ったのかと思えば先日、オメガ性の子供を引き取ったのだと思い出す。  決して忘れていた訳では無い。  だが、今もまだ身勝手な国の戦争に巻き込まれた我が同胞の多くが行方不明なのだ。  例え希少なオメガだとはいえ、この少年一人だけに構う暇はなかった。 「お前達は下がれ。今夜は俺が見る」 「……承知しました」  執事長が頭を下げ、部屋を出る。  一人残った俺は椅子をベッドの近くまで持ってくるとそこに腰掛けた。  ここに来る道中に聞いたことは決していい話ではない。  ろくに食事を摂らない弊害により、餓鬼はみるみるうちに衰弱して行った。  生きることを諦めたのだろう。  この世界を憎んでいるのかもしれない。  どちらにしろこの幼い少年はろくに幸せも知らず、この世を儚み、そして孤独のまま死ぬことを選んだのだ。 「……すまないな」  どうしても救えなかった命がある。  あと一秒、あと一日と早ければ繋ぎ止められた命の雫が幾つもこの手のひらからこぼれ落ちていった。 「俺は、お前みたいな者達を救いたくて宰相だなんてものになったのにな」  餓鬼は、朧気であろう意識の中でさえ、俺を睨み続ける。  憎いだろう。  お前の目の前に立つ俺が。  高みの見物をしてばかりで、お前達の本当の苦しみを何一つ知りもしない偽善者が。 「お前が喋れたら一体何を言うのだろうな。生意気な言葉で俺に噛み付く姿を見てみたかったぞ? お前みたいな糞餓鬼を振り払うことなんて造作無いことだからな、暇つぶしぐらいにはなっただろう」 「〜〜っ」 「なんだ? 悔しいか。そうか。ならば生きてこの俺に殴りかかってみろ。言葉を覚えて好きなようにその胸の内を叫んで見ろ。お前如きの罵倒ぐらい痛くも痒くもない、いくらでも聞いてやる」 だから、もう少しだけ生きてみろ。 口にはできなかった言葉が、まるで届いたかのように子供の手が俺の手の甲を叩く。 短い爪をたてて、俺の皮膚に傷をつける。 「馬鹿が」 その手を掬いとってそっと握りしめた。 小さな手だ。 俺の掌にある頼りない手がわずかに動く。 今にも消えてしまいそうな儚い命を確かに感じたのだ。  餓鬼は少し眠ると直ぐに飛び起きることを繰り返した。  嫌な夢を見ているのか、眠っている時さえろくに休めていないようだ。  窓から入り込む暁光が、やがて力強い朝の光に変わりゆく。  静けさに包まれた部屋の中に、穏やかな息遣いが朝の空気に溶け込んだ。 「口に含め」  果実の水を柔らかな布に浸して、餓鬼の口元に持っていく。  初めは頑なに口を開かなかったが、しつこく押し付けると嫌々ながらもそっと口を開いた。  雛鳥よりもか弱く、布から僅かな水分を口にする。  何度となくその行為を繰り返し、再び餓鬼が眠りに落ちたあと、俺は部屋をそっと出た。

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