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27 DAYS

 あの子供が来てから、ひと月が経とうとしていた春の終わり。  匙を投げられ、あのまま衰弱死を遂げるかと思われた子供は、僅かながらも食事を摂るようになり徐々に回復していった。  その間、直接あの小生意気な顔を見てはいない。  幾度か仕事の合間に邸宅へと足を運び、眠りこけている子供の鼻を摘んでやったぐらいだ。  シュアからの報告によると、先日漸くベッドから降りる許可が下りたそうだ。  まるで弟のように愛でるシュアを見ていると、春の陽気に誘われて頭の中までおめでたくなったのかと心配したほどである。 「ラン様、本日の業務は午後からの会議のみですよね?」 「ああ」 「そうですか」 「忙しいこの時期に無意味な質問をするな」 「これは失礼。ラン様でもたまには執務が思うように進まない日もあるのでは無いかと」  シュアの言葉に手を止める。  何が言いたい?  訝しげに視線を向けると、シュアはにこりと微笑むだけだ。 「この俺に不備はない」 「左様で。流石はラン様、その調子で午後の会議もサラッと終わらせて下さいませね」 「言われずとも」  はんっと鼻を鳴らして鷹揚に頷く。  この俺を相手にベラベラと非生産的な発言をしてみろ。貴族だからと許してやるつもりは無い。  そもそも皇帝の父親である上皇は俺の伯父である。  父は上皇の弟で、公爵家の当主だ。  宰相になるため俺は公爵家から名を消し、伯爵という爵位を賜った。  それは政での必要不可欠な力関係の分散の為である。  だが貴族には、下半身に脳みそが存在する哀れな貴族がいるのだ。そいつらは如何にして楽に金を稼げるかと考えるのに夢中で、俺の爵位が下な事を言及しては理解不能な事をのたまうのだ。  皇帝は従兄弟で、仲は良好である。後ろ盾はバッチリだ。  使えるものは使える主義の俺に、制裁された馬鹿は数えるのも面倒なほど。  今日の会議とて本来ならば不必要なもの。  だが貴族達の面子を立てるために、また怪しい動きをしている者が居ないか探るために、致し方なく時間を作ってやっている。  そこで馬鹿なことを発言してみろ。  その場でろくな事を言わない口など塞いでしまえ。  と、俺は思うのだが皇帝は相変わらずのんびりとしたものである。  片手間に昼食を摂り終え、余裕を持ち会議室にへと向かおうかとした矢先のこと。  食堂から戻ったシュアは大きな荷物を連れていた。 「……なぜ、ここにソレを連れてきた?」  こめかみを揉みほぐしながら問う俺に、シュアはそれはそれは魅力的で嗜虐的な微笑みを浮かべた。 「いえね、仕事ばかりで鬼のような顔をしているラン様に癒しのお裾分けをと思いまして」 「……」  二対の視線が俺を見る。  中でも強烈な視線を送ってくるソレは何が不満なのか、頬袋をパンパンに膨らませていた。 「必要ない。俺は忙しいんだ、遊ぶなら屋敷の中で終わらせろ!」  シュアは人を食ったような性格をしているが優秀な男だ。  だがこういう形で揶揄られるのはたまったものではない。  苛立ちを隠しもせず、棒立ちのまま俺を見つめる少年の隣を通り過ぎようとした刹那、服の裾を鷲掴みにされる。 「……おい」 「……」 「その手を、離せ」 「…………」  ジェスチャーで離せと命じる。  だがそいつは益々むうっと頬を膨らませると、首を横に振った。 「おや、この子はラン様に懐いているようですね」 「巫山戯るな! 会議があるんだぞ、分かっているのか」 「あんな会議はお遊びなのでしょう? 糞な集まりなのでしょう?」 「……だからといってこの俺に餓鬼を連れていけと?」 「現実を見ない貴族共には現実を、良識のある貴族達には同情を。貴方は敵が多いのですよ。子供を甲斐甲斐しく面倒見ているのだと見せつけて味方を増やすには丁度いいではないですか?」  シュアがスラスラと言葉を発する。  本音が半分、出鱈目が半分といったところであろう。  シュアがこの子供を心から慈しんでいるのは真実だ。政の道具にしようだなんて考えていない事も分かっている。  思案していると今も尚、裾を握りしめたままの子供は俺の気を引く為か、ついに両手を使い引っ張りだした。 「やめろっ。お前は──」  ばっと振り向き、はたと気づく。 「どうされました?」  こいつの名前はないのかと。 「この餓鬼の名は?」 「そんなものありませんよ。言葉も教えられずに育ったのです」 「教会でつけなかったのか?」 「引き取ったのは貴方ですよ、ラン様。命令とはいえ一度は引き受けたのです。貴方様がつけずに誰がつけるのですか」  嘆息するシュアは冷めた瞳で俺を見た。 「名か……」  俺の腰ほどの背丈しかない、小さな子供を見下ろす。  初めて見た時は枯れ枝のような体、髪はボサボサで鳥の巣のごとく。  その身に怒りだけを詰め込み立っていた。  今ではそれなりに身綺麗にしているためか見れた容姿になっている。  それでも至る所に残る傷跡は、永遠に消えないのだろう。 「──ウェルだ」 「……?」  大きな碧翠の瞳が不思議そうに俺を見上げた。 「お前の名はウェル。シアワセという意味だ。有難く思え」  言葉を知らぬ子供は、何かを噛み締めるかのようにゆっくりと頷いた。  

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