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畏怖
ディエゴは明日は早いからと言い、早々に寝床についてしまった。ミケルは残りの後片付けを済ませようと席を立つ。どうにも先程からのレノの視線に耐えられず、落ち着いて椅子に座っていられなかった。
「なあお前、名前なんと言ったっけ?」
「……ミケルです」
「歳は?」
「22歳……だったと思います」
ミケルは自分の確かな誕生日を知らない。
施設にいた頃は誕生日を祝われたことはあったけど、それは他の子らとも一緒の祝い。「今日のこの日が誕生日よ」と大人達に言われてはいたけど、それが本当の誕生日なのかはミケルは知る由もなかった。これといって関心もなかったのでなんとなくそうなのだと思って今まで生きてきた。ここ数年は自分の誕生日のことなんて気にとめることもなかったから、22だったか23だったかちょっと迷ってしまった。
「そっか。じゃあ兄様と一緒くらいなんだな」
そう言って屈託無く笑うレノに、先程までの警戒心が少し薄れた。あどけなさも垣間見えるこの男に湧いた僅かなあの悪寒のようなものは何だったのだろう。今は全くそんな嫌な感じもせず、寧ろ話しかけてもらったことに喜びさえ感じていた。
「レノ様はそろそろ戻られた方がよろしいのでは?」
楽しくレノからディエゴとの思い出話を聞かされ、気づいたら大分夜も遅くなっていた。こんな時間まで一人で離れの小屋になんていたら、屋敷の者に心配されてしまうのではないか……そう思ってミケルはレノを送り届けようと上着を手に取る。
「ん……疲れたからもう少しここにいたい」
だめか? と言いながら、背後に立ったレノはそのままミケルの肩に顎を乗せその首筋に鼻を寄せた。突然のレノの行動に一瞬にしてミケルの体は硬直した。
体が竦んでしまって動けない──
この感情は恐怖なのか驚愕なのか……そんなことより黙っていたらレノに変に思われてしまう。ミケルは慌てて呼吸を整え「少し休んで行かれますか?」と何とか言葉を続けた。
「ミケルの寝床は? 三十分程寝てもいいかな?」
「あ……はい、こちらです」
レノが自分から離れたことで何とかミケルは冷静さを取り戻す。早鐘を打つ胸とふらつく足を誤魔化しながらレノを自分の布団のある部屋に案内した。レノをこんな所に寝かせてしまって良いものなのか? と不安になるミケルをよそに、レノは遠慮なくドスンと横になってしまった。
「良い匂いだね…… 時間になったら屋敷に戻るから起こしてね」
そう言うとすぐに目を瞑り眠ってしまった。
「あれは……何だったんだ」
椅子に腰掛けミケルは小さく零す。首筋に触れたレノの吐息に背中の辺りが粟立つような感覚に襲われた。一瞬息ができなくなった。金縛りにあったとでもいうような、今まで感じたことのない感覚にミケルは怖くなった。
恐らくレノはαだ。αは敏感に匂いを感じ取ると聞いたことがある。逆にΩもまた、αの存在に敏感だった。それでも自分は発情期の症状は軽い方だから、気付かれたなんてことはない。今まで一度だって発情期をαに気付かれたことなんかないのだから大丈夫なはず…… それにここには自分はβだと偽って来ているからバレたらきっと追い出されてしまうだろう。こういうところの人間は皆、α性で獣人差別主義者が多いと聞いていたから。
「大丈夫……大丈夫だ」
そう呟きながら深呼吸をする。時計を見るともう既に三十分が経とうとしていた。
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