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第2話
一日の業務を終えて、瑠佳は屋敷の地下にある自室へ戻った。
使用人の部屋はみな地下にある。とはいえ半地下の造りなので上部に窓があり、決して息苦しい部屋ではない。
ベッドに腰かけて読みかけの本を開いた時だ。
サイドテーブルに置いてあった内線電話が鳴り、秋廣に呼び出される。
パジャマの上からナイトガウンを羽織って、スリッパのまま部屋へ向かった。業務時間外なので、ラフな格好でも許されるのだ。
屋敷の南側。温かな日差しが一番入る場所に秋廣の寝室はあった。
彼の祖父も父親も敷地内には住んでいるが、それぞれ好みの邸宅を建てて住まいを移しているので、本宅の主寝室は秋廣のものだ。
「失礼いたします」
ノックしてドアを開けると、ベッドに入り上半身を起こした主が微笑んでいた。
直接照明を落とし、シェード越しに柔らかな光を零すスタンドライトに照らされた彼は、昼間の印象と違い艶やかだ。
白い肌に、手足の長い体躯。すっと整った鼻筋に、睫毛の長い涼やかな目元。日に透けると茶色い髪は柔らかく、骨張った指先すら繊細で美しい。優雅な物腰は穏やかな彼の内面を表しているようで、いつも瑠佳に安心感を与えた。少々神経質なところもあるが、こんなに美しくて尊い人物を他に知らない。
「こんな時間に呼び出してすまなかったね」
静かに響くテノールボイスが心地いい。
「いいえ」
業務時間外に呼び出されることはままあるが、用事を言いつけられることは少なかった。
「こっちへおいで、瑠佳」
「はい」
笑み一つで呼び寄せると、隣に座らせた。
形の良いまあるい頭を一撫ですると、色素の薄い真っ直ぐな髪を弄び、幼さが残る頬をゆっくりと辿る。桜色の唇を指で摩って感触を確かめた後、満足そうに秋廣は微笑んだ。
「本当に可愛いね、お前は……」
「そんな……」
ストレートな讃辞に顔が熱くなる。
視線を泳がせると頬に口づけられた。
深く抱き込まれて、肺の中が彼の香りに満たされていく。
「秋廣様……」
そろそろっと抱き返すと、さらに腕に力が込められた。
「愛しい瑠佳。僕の天使。いつかお前にふさわしい男になるから、それまで待っていておくれ」
「はい……」
秋廣はすでに立派な人間だと思う。
アルファの彼は、すべてにおいて優れている。
代々続く岸田家の次期当主で、名門私立校を初等部から大学院まで優秀な成績で卒業し、現在は物流から次世代エネルギーの開発まで担う、大手複合商社岸田商事の副社長だ。
毎日どんなに忙しくても苛立った表情一つ見せず、使用人に優しく接する人格者で、皆から慕われて人望も厚い。
甘い物が大好きで辛い物が苦手という部分は、人間臭さがあって好感が持てるし、サプライズでプレゼントを用意しては、瑠佳を驚かせる無邪気な一面も持ち合わせている。この護身用の赤い首輪も、秋廣からプレゼントされたものだ。
しなやかで強靭なカーボンナノファイバーと、本革より生活に適した高通気性合皮で作られた特注品で、小さな鍵でバックル部分を施錠するタイプだ。
『ルフュージュ』といわれるオメガ保護施設を出所した際、祝いの品として贈られた。
「瑠佳、瑠佳……。愛しい瑠佳」
ゆっくりとベッドに押し倒され、真上から見つめられる。
慈愛に満ちた眼差しに、吸い込まれそうになった。
「互いが結ばれる日まで、純潔を守っておくれ。瑠佳」
「わかっています。秋廣様」
何度も何度も言い聞かされた言葉。
瑠佳にとっては神聖な誓い。
世の中には発情期の性衝動が抑えられず、見ず知らずの相手に身体を許してしまうオメガもいるそうだが、瑠佳には信じられなかった。
自分は彼らとは違う。
大切な秋廣のために、いつか結ばれるその日まで純潔を守ってみせる。
固い決意とともに頷くと、安心したように秋廣が目を細めた。
首筋に柔らかな唇が押し当てられる。カチリと首輪が小さな音を立てた。
くすぐったくて、恥ずかしい。
もう一度真上から見下ろされて微笑み合う。
彼とこんな関係になったのはいつからだろう?
気がついたら秋廣は自分のことを好きだと言い、将来を誓ってほしいと請われた。
彼を尊敬していた瑠佳は、「はい」と答えた。
互いの温もりを感じ合うささやかな触れ合いを終え、自分の部屋に戻る。
心の奥がまだ温かい。秋廣に抱き締められているようだ。
電気を消してベッドに入った。
今夜もいい夢が見られそうだ。
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